日本が生きづらい理由の一つは、形式を重んじる文化にあると思う。

 

会議は議論の内容よりも参加する事に意義がある。

仕事の生産性よりも、会社に「いる」事=共に同じ時間を「過ごす」事が大事。

だから無駄に残業した人が評価され、さっさと仕事を終わらせて定時に上がった人が低く評価されるという謎現象が起きる。

コロナ禍の初期には「ZOOM会議の上座はどこか?」なんてテーマも盛り上がった。

 

学校では、校長先生の話がどれほどつまらなくても、ちゃんと「聞く事(聞いているフリをする事」を教えられる。聞いた数分後には忘れてしまっても良く、心に何も残らなくたって構わないのだ。ただお喋りせずに、大人しく聞いていさえすれば文句は言われない。まさに「形だけ」である。

就職活動なんて形式主義のオンパレードだよね。面接官も学生もロボットみたい。

ノックの回数は二回か三回か、本気で議論している国に未来なんてあるのか?

 

他にも、年上に「ご苦労様でした」は失礼問題とか、マルハラとか、理不尽な校則問題とか、警察官は(制服のまま)コンビニに立ち寄るなとか……

日本には意味不明な形式主義が蔓延り過ぎている。本質でない所で批判する人が多過ぎ。髪型や服装なんて、よっぽど常識外れで不快感を与えるものでなければ何でも良いよ。くだらない形式主義のおかげで、どうでも良い事にリソースを割かなきゃいけない。

 

もちろん、形式が全て不要だとは思わない。

全ての物に合理的理由を求めるつもりもない(それはそれでまた生きづらいから)。

ただ、もっと「実を取る」というか……形ばかりにとらわれ過ぎない方が生きやすくなるんじゃないかと個人的には思う。だって私が新卒社員だった頃は、今ほど変なルールはなかったけれど、それで社会は回っていたんだから。

 

もっとゆるくいこうぜ、って。

「ゆるく生きる」なんていうとすぐに「甘えだ」と言われそうだ。

なら「サステナブル」とか「持続可能性」と言い換えても良い。

ある程度のゆるさがなければ持続などできはしないのだから。

現に今、私たち日本人は疲弊しているではないか……