男性が生理痛を体感できるマシンが話題になっている。

こういう発想は確かに面白いんだけど、どこかズレているなぁと感じる。

 

 

 

大事なのは女性がなるべく苦しまない事だと思う。生理痛に悩む女性が生きやすくなる事だと思う。

例えば、生休の制度を整えるとか。今よりも自由に学校を休みやすくするとか。

できる事はいくらでもあるよね。女性の苦しみを緩和する方向に議論が進むべきなのに、なぜ「男に苦しみを与える」という方向に行ってしまうのだろう。

 

twitterを見ていたら「女は痛い思いをしているのだから、男も同じように苦しめばいい」的な意見も目立った。おかしいよね。女性を苦しまなくする方向に話が進むんじゃないんだ。単なる男叩きの材料で終わってしまうんだ。だとしたらこんなの男女分断の道具でしかないように思える。男嫌いの女が悦に浸って終わりで、根本的な解決になっていない。自分が苦しんだからお前も苦しめ的な議論には生産性がない。

 

常々思うが、大事なのは「共感」ではないと思う。相手の痛みそれ自体はわからなくたって良い。共感できなくたって構わない。それでも相手を尊重する事はできるでしょう。現代社会は何でもかんでも「共感」を求めるけれど、この風潮は危険。じゃあ共感できない相手には親切にしないんですか?って思う。誰もが共感できる苦しみや、簡単に理解できる悩みを持つ人だけが救われる社会というのも変である。

 

相手の苦しみそれ自体がわからなくても、相手と共存する事はできるでしょう。

男が生理痛(と同じ痛み)を味わったからと言って、彼が必要な配慮をしてくれる保障なんてどこにもないじゃんね。同じ痛みを与えたら、女性に親切になるとでも思っているのだろうか。それとこれとは別問題だ。

 

大事なのは、苦しみをわからせる事でも、共感してもらう事でもない。

相手の痛みを体験する(させる)事じゃなくて、痛みをわからないなりに何とかやっていく事の方が大切じゃないのか。

必要な時に休みを取れるとか、配慮して欲しい事を遠慮なく言えるような社風をつくるとか。もっとドライでいいから、必要な配慮をすればいいだけだと思う。

いちいち電流浴びせて「私の痛みをわかって!」って言わなきゃいけないかね?