人は忘れる生き物だ。

割と最近の話で、10年前によく会っていた友人が時を経てほとんど僕の事を覚えていないケースに遭遇した。寂しくなりつつも、彼にとって僕が取るに足らない存在とも言えるし、人間の記憶なんてその程度のものかと諦念もあった。

僕のように日々の生活にあまり張りがなく変化も少ない社会人と違い、その友人は音楽活動で広範囲を飛び回っていた。日々出会う人の数も僕の比ではない。新しい土地に行く分だけ新しい出会いがある。

そりゃ10年ぶりに会った人間の事なんて朧げだわなぁ。記憶領域がキャパオーバーを起こし、必要の無い記憶を脳味噌が判断して次の人を上書きしているのかもしれない。

ただほとんどの人間には、忘れない人、忘れてはならない人が少なからず存在する。

この容疑者にとって、被害者がその存在であることを願う。





群馬県伊勢崎市の国道で事故が起きた。

この事故をめぐりドライブレコーダーの映像から、トラック運転手の鈴木吾郎(69)容疑者が、運転直前に酒を飲んでいたことが判明した。



ゴールデンウィーク最終日、埼玉県のレジャー施設から前橋市の自宅に帰宅する途中だった塚越湊斗(2)、その父・塚越寛人(26)、その祖父・正宏さん(53)の命を飲酒運転事故で奪った。

トラック運転手の鈴木容疑者は直前に酒を飲み、ノリノリテンションマックス状態で対向車線へ突入し塚越一家を車ごと吹き飛ばした。



ドライブレコーダーには鈴木容疑者が見通しの良い直線道路を走るも交差点付近で近付でふらつき中央分離帯を乗り越えた映像が残されていた。

鈴木容疑者は「うぇーい」と叫び声をあげ、制限速度を約30キロ超えた時速90キロ程度で衝突。



この低俗な事件の被害家族である母親のSNSから「苦しくなった時、吐き出させて下さい」と代理人弁護士を通し心情を綴っている。

「あの日の電話。全員意識がありません。それを聞いた瞬間、震えが止まらなくなった。もうパニックだった。泣く事しか祈る事しか出来なかったママを許して。憎い。憎んだところで帰って来ない。もう2度と帰らない私の宝物」



同僚に息子を自殺で亡くした方が居る。一言で言うと「地獄」らしい。

更に母親のSNSからこうも語っている。

「すぐにたくさんの管に繋がれた子供を管が外されていき、私の腕の中で心臓が止まって眠りについてしまった時の私の気持ちを誰が理解できるというのか。私はあの日を一生忘れられないし、これからも思い出さなくてはいけない」


なるほど、まさに生き地獄だ。


「事故を起こしたことは間違いありません、ただ、詳しくは覚えていません」

鈴木容疑は一部を否認。

そもそも車内カメラに映っている時点で否認もクソも無いだろ。証拠があるわけだから。

酒って、マジ言い訳材料として便利。

交通事故の免罪符のようにすら思えてくる。

記憶が無いで押し切るつもりなのだろうが?

一部って、何処をどう否認するのだろうか?

酒を飲みすぎたら記憶が無くなるのは誰にでも起きることだから、仕方が無いと同情する人間が存在するとでも思っているのだろうか?



「奪った命がどれだけ重かったか、どれだけ愛されていたか思い知れば良い。記憶が無いなんて許されるはずがない。奪われた人達の命が忘れられて良いわけがない。周りの人達の心まで殺した事を自覚して欲しい」



月並みな話だが、事件が起きても時が経てば世間には忘れられ、犯人は裁かれて刑に服せばいずれは終わりになる。

だが被害者は事件を終えることも忘れることも出来ない。日常に確かに存在したはずの家族はこの世に居ない。

加害者も本来なら忘れてはならない。否、反省していたら忘れるはずがない。

鈴木容疑者は直ぐに忘れるだろう。

寧ろ自分は「あの訳のわからん家族が俺の目の前に飛び出して来たせいで、俺は刑務所に○○年も服役するハメになった!」なんて被害者のような言動をし始める気がする。

 

無期懲役か極刑が妥当なのだろう。