ストーカーとは過去の恋愛関係だった人や勝手に一方的な思いを寄せている人に対して付き纏ったり嫌がらせしたりする犯罪者。

細かな定義は分からないが、僕を含め大体の人が概ねそんな認識なのではないか。

タレントの中川翔子さんもストーカーの被害者だ。恐らく中川さんは加害者との面識は無く、ストーカーはテレビ・PCの画面越しで中川さんを見た程度の関係だろう。そんな超極薄な関係でもストーカー対象となってしまうのだ。

街中で見つられたらサインや一緒に写真を撮ることを強請られるのが有名人の宿命とはいえ、通常のファンから大きく逸脱した思考の持ち主に私生活を脅かされるのはキツすぎる。引っ越しや警察への相談で時間、お金、心が浪費するのは被害者からしたら「なんで自分は悪くないのに本来必要ない事に浪費しているか?」という心境に至る。

それにストーカーは10000人に1人とか、そんな程度の数だろう。ファン達も「極少数のストーカーのせいで中川翔子のファンが危険みたいな見方されたら悲しい。」と思うはず。

更に言えばストーカー本人。決して実ることの無い画面越しの恋を実現させようと膨大なエネルギーを消費している。行き着く先は振り向いてくれない被害者の殺傷か、警察に逮捕されるか。割りに合わなすぎる。その力を使えば、他に良い異性や人生の体験をもっと増やすことが出来るのではないだろうか?

要はストーカー犯罪は誰1人として幸せにならない行為なわけだ。要はというか、そんなこと語らずとも正常な判断が出来る誰もが理解している事だとは思うが。

一般人でも同じ。ストーカーされて嬉しいと感じる人は存在しない。ただの恐怖の対象としかならない。そこから加害者どうやって被害者の気持ちを掴み取れるというのだろうか?被害者にどんな奇跡的な心変わりが起きたら加害者を好きになるというのか?不可能だ。

また愛が過ぎて憎しみに変わる事も多々ある。なぜ自分を見てくれないのだと憤りが愛から憎しみへ移り変わり、愛からではない執着へと繋がってしまう。愛憎とは本当に上手く言ったものだ。憎しみへ変わったのなら一刻も早く離れるべきだ。


と、仮に脳内で理解していても心はそうもいかないストーカーは多いだろう。ストーカーどころか、一般人でも心の整理はそう簡単に着かない。「この人しかいない」スイッチが入った人間はそう簡単には止まれない。刑務所から出てきて元交際相手を殺した人間も存在する。

推測だが加害者の大体が恋愛経験が無いか、または少なくて異性に対して神懸かり的な幻想を抱いていたり、目が合っただけでロマンスを感じ好きになるような自分の妄想世界を構築しがちな方が陥る傾向ではないだろうか。可愛さ余って憎さ100倍へ性質変更。


そうなると今回の事件はちょっと事情が違ってくる気がする。加害者がイケメンで如何にもモテそうなのだ。



寺内進(31)容疑者。まるで芸能人のような目鼻立ち。どっからどう見てもモテそう。田中聖容疑者のような危うさも何処か孕んではいるが。


16日午後6時15分頃、福岡市博多区博多駅前の路上で「女性が刺された」「棒状のものでたたかれた」などと通行人から複数の110番があった。複数通報があったので、結構派手に暴れていたと想像出来る。



亡くなったのは川野美樹(38)さん。寺内容疑者の元交際相手相手で、つきまといに耐えかね警察に相談し昨年11月に寺内容疑者には接近禁止命令が出ていた。

正直この顔立ちのパーティピープルタイプが38歳の女性に固執する理由が分からない。寺内容疑者なら幾らでも若くて綺麗な女性が寄ってきそうなものだ。もっといい人を見付けて川野さんに「どうだ、お前は俺を捨てたけど、俺はもっといい女をゲットしたぜ!」とさり気無く見せ付けてやる程度の復讐で留めておけばいいのに。

よほど川野さんの年上の魅力に心の底まで擽られてしまったか。寺内容疑者は己の人生を狂わせてでも亡き者にする価値を川野さんに見出してしまったのだろう。

「本気にさせた方が悪い」なんて主張も世の中にはあるが、それを自分の蒔いた種と片付けるのは些か強引であり、人と人が関わり始めた頃はどんな終わりを迎えるかなど想像が付かない。川野さんには非はない。

愛か憎、どちらのベクトルかは判断付かないが、アウトプットが殺人である以上そこには美談なんか存在せず、寺内容疑者はきっちりと苦しんでもらい川野さんのご冥福を祈る。