白石隆浩に死刑判決が下った



世間的に個人的にも当たり前の結果かと思っているが、訳の分からない主張や悪あがきが無かったのは意外であった。心神喪失を狙った妄言を繰り広げるとばかり考えていた。


「家族に迷惑かけたくないので、おとなしく罰を受ける」


彼のいう家族とは自分の家族か、被害者の家族か、あるいは両方なのか、その真意は本人にしかわからない。いや、誰も面会に来ない発言をしたことがあるため恐らく自分の家族のことであろう。


「死にたい」

この発言は「生きたい」の裏返しでもあり、本当に死にたい人間はそんなことは言わない。死にたいと思う以上の生きる理由を探している。座間に集まった9人の被害者達も、集まりに参加して何かしらの救済や、集まった者同士でのコミュニケーション等で生きる理由を見つけようとしていたのだと推測する。

もちろんそこまで察せと人に求めるのは無理だし、僕も実際目の前にそういう人が居たら月並みな言葉しかかけられない。


「生きる理由がないなんて言うなよ」


「いや、もう死にたい」


そんなやり取りが延々と続くのであろう。聞く側にも当然許容の限界がある。



白石隆浩の「おとなしく罰を受ける」にはある種の覚悟を感じる。死ぬ覚悟と言い換えることも出来る。死刑確定ともなれば、近い将来の死が確定である。


もしかしたらであるが、自分の家族に対する申し訳なさを感じる心は残っているのかもしれない。

その心を少しでも遺族に向け、残りの余生を過ごしていってほしい。