障害者施設「津久井やまゆり園」で19人を殺害、26人を負傷させた植松聖被告に死刑判決が下った。

死刑なのは当然として、彼の主張はなかなかに自分勝手で、相手のことを何も考えていなく、そして人によっては一理あると考えるかもしれないラディカルな思考である。

まず人のことを考えていない。

自分にとっては不要な人だったとしても、他の誰かにとっては大切な人であるケースは頻繁にあること。親族親兄弟が障害によりコミュニケーションを取れなくなってしまったとしても、その人に対する思い入れがあり、大切にされていることもある。むしろそれが普通であると信じたい。

しかし心のどこかで多少の賛同をしている人もいると思う。もちろんそれを口にしたりすることは外道と称されるため普段は表に出ず潜んでいる。

それが理性であり、常識でもある。良し悪しや論理ではなく、人が一般的に不快に思うことは口にしない方がいい。賢く生きるとはそういうことである。

ただ、僕の周りで植松聖のようなことを言う人間が居ても、否定も肯定もしない。その人の考えである。

せめて行動には起こすなよと祈り、忠告はする。