去る11月4日に、生きづらさフェス「布団の中のアーティスト」が無事終了して、ひと安心♪
私は、今年2月をもってライブ活動を辞めているのだが、こちらのイベントだけは例外。
4年前の第1回目開催時からお世話になっていて、現在では、司会兼広報という立場で、関わらせて頂いている。
更には、パフォーマンスコーナーの大トリ的なポジションまでも、お任せ頂いている。
本当に、ありがたいことである。
引き続き今回も、主催者・哲生さん(twitter:tetsuo040500)のご厚意により、持ち時間を20分頂いた。
しかし本番を迎えるまでに、私の中では、様々な内なる闘いがあった。
当日が近々に迫っても、「これがやりたい!」という案が、全く浮かばずにいた。
イベント数日前には、ようやく「やっと決まった!」と題して記事にするほどのひらめきも訪れてくれたが、
結局は、その案も葛藤の末、やむなく却下。
ちなみにこのときは、『日本一醜い親への手紙 そんな親なら捨てちゃえば?』(https://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%B8%80%E9%86%9C%E3%81%84%E8%A6%AA%E3%81%B8%E3%81%AE%E6%89%8B%E7%B4%99-%E3%81%9D%E3%82%93%E3%81%AA%E8%A6%AA%E3%81%AA%E3%82%89%E6%8D%A8%E3%81%A6%E3%81%A1%E3%82%83%E3%81%88%E3%81%B0-Create-Media/dp/4907623240)の朗読を考えていた。
更には開催3日前、扁桃腺が腫れてしまうという、演者としては最も恐るべきアクシデントが発生。
唾を飲み込む刹那にさえ痛みを覚える、惨憺たる状態。
(これは、フリートーク一本勝負になるのか...!? いや、出来ることなら、歌もやりたい...)
自分のパフォーマンスどころか、哲生氏とのユニット「痔・有るフィー」(命名の由来は、哲生氏がイボ痔だから)でのパフォーマンスも、
ひょっとしたらダメかもしれない━胸中を覆い始める暗謬。
喉に効く様々な医薬品を、深々と祈りながら我が身へ投入。
そして、怖々と迎えたイベント当日。
奇跡は、起こった。扁桃腺の違和感はすっかり霧消、発声にも問題なし。
(あれ? 歌もイケるかな?)
と思い、少し早めに出発し、最寄り駅近くのカラオケボックスへ。
意気揚々と、試しに新沼謙治の「嫁に来ないか」で発声(選曲がおっさん丸出しなのはご勘弁下さいませ)。
すると、歌唱にもまったく支障なし。
(よし♪ 決まった!)
━斯様な経緯で、「布団の中のアーティストvol.14」における大谷健児のパフォーマンスは、決まった。
心の底から、「神様がお与え下さったステージだなあ」と思った。
何より、パフォーマンスの時間を、久々に楽しむことができた。
当イベントが回を重ねるたびに、「大谷健児」と「布団の中のアーティスト」をセットで覚えて頂ける機会も、かなり増えてきた。
おこがましい言い方になるけれど、自分を「イベントの顔」であるという自覚と、それに付随する責任感も、段々と芽生えてきた。
それゆえ、お客様もご期待下さり、私もそれに応えようと、自分なりに奮闘してきた。
当初は、限りない楽しさとよろこびを噛みしめながら立っていたステージ。
しかし、好ましい感情は、いつからか、強迫観念へと変貌を遂げていった。
なりふり構わずイベントの知名度を上げるため、心の声を無視して、露悪的なこともやってきた。
それで起こしてしまった諍いも、大いに猛省している。
私自身、本当は、お客様に、希望と勇気と感じて頂きたいと思っていた。
堅牢な孤独の檻で佇んでいる誰かに、「人を信じる気持ち」の苗を、持ち帰ってもらいたかった。
品性下劣な言辞なんて、片時も、弄したくはなかった。
皆様から、「大谷健児の金看板」とお思い下さっていた替え歌さえ、さっさと辞めてしまいたかった。
自分に嘘をついて、私が心から好きな「表現」まで、嫌いになりたくはなかった。
今回のステージを通して、また新たな自分と邂逅できた。
━ありがとう。
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本日もお付き合い下さいまして、誠にありがとうございました!
・《虐待サバイバー写真展》(https://kojikoji.themedia.jp/posts/4128584)では、被写体として協力させて頂きました。