私は、ノーパンである。いつでも、どこでも。
言うまでもなく、本稿を執筆している今この瞬間も、ノーパンだ。
ただ、精神状態および性欲の如何で刺激を求める際、やむなく女性用ランジェリーを着用する場合もある(参考記事:https://ameblo.jp/orenochinkasutabero/entry-12411623946.html)。
ランジェリー着用の上で街を散策したり、フォーマルな場へ赴くこともある。
しかしそれらは、特例だ。
平生は、完全なるノーパン。
今日は私の煌くノーパンヒストリーを、心ゆくまでお楽しみ頂きたい。
※ ※ ※
ノーパンライフを開始してから、もう3度目の秋。
私がノーパンマンに転身したキッカケは、とあるライブで、初めて全裸になったことだ。
池袋のライブハウスにて、雷鳴のようなただならぬ大喝采を浴びながら、私は思った。
パンツなんて、いらねえよ━
あの日あの時あの場所で、私はそっと、サヨナラを告げた。パンツに。
そして、パンツという名の鎧で自分の可能性を閉じ込めていた、ちっぽけな自分に。
パンツとの別離。ノーパンとの邂逅。
静謐な自分革命は、私を更なる高みへ導いてくれた。
それからというもの、デートでも、仕事の打ち合わせでも、親族の葬式でも、私はノーパンを貫いた。
不思議なことに、ノーパンライフは、私の心身に健やかさをもたらせてくれた。
科学的根拠は知らないが、「パンツを履く」という行為が、非ノーパン時代に於ける私のストレスだったのかもしれない。
パンツという檻から羽ばたいた私。
ズボンの中で自由に躍動する我がマラも、新鮮な感動に喜んでいるようだった。
ただ、冬は我々ノーパン族にとって、極めてハードだ。
寒風の感じ方は、非ノーパン時代の比ではない。
魂さえ凍てつきそうなほどの痛烈な冷たさが、無情なまでに、ちんこへ直接届く。
ゆえに、ただでさえ「ゴリラに踏み潰されたピスタチオ」と称される私のちんこは、余計に縮こまる。
縮こまるちんこは、心の冬を、大いに長引かせた。
春が訪れたとき、私の股ぐらには、それはそれは愛らしい、つぼみがあった。
※ ※ ※
いかがだっただろうか。
これでもう、あなたは、私が常にノーパンであるという厳然たる事実から、逃げられない。
大谷健児は、いつでもパンツを履いていない。
この現実を、あなたはいま、真っ向から受け止めなければならない。
当ブログをお読み下さっている知人女性の中には、ただならぬ興奮に身悶えしておられる方も、居るだろう。
あるいは、
(えっ、、大谷さん、あのときノーパンだったの。。。)
と記憶の糸を手繰り寄せて、羞恥に頬を染めておられるかもしれない。
しかし私は、いつでもノーパンだ。
あなたと朗らかに談笑している瞬間、私は揺るぎなく、ノーパンなのである。
しかし、だからと言って、私を遠ざけることはない。
ここはひとつ、あなたもノーパンになってみないか?
そう、お互いに、心のパンツも脱いで接してゆこうじゃないか。
ありがとう、ノーパン。
※ ※ ※
本日もご閲覧下さいまして、誠にありがとうございました♪
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