鼠退治をしたにもかかわらず、報酬をもらえなかったハーメルンの笛吹き男は、愚痴を肴にとある酒場にいました。


以下、ハ=ハーメルンの笛吹き男

    マ=酒場のマスター


ハ「ない。マジないんだけど。ありえなくない?マスター?」


マ「そうですね。ちょっとひどいですね~。」


ハ「そう思うでしょ?!あっ、ブラッディーマリーひとつお願い。」


マ「わかりました。まぁ、人生そんなものですよ。」


ハ「だからさぁ~、もう俺仕返ししてやろうと思うんだよね。」


マ「ほう?どんなふうにですか?」


ハ「町中の子どもを連れ去ってやろうと思っているんだよね、いま。」


マ「ブラッディーマリーでございます。」


ハ「あ、どうも。そしたらさ、さすがにやばいってなるじゃん。お金払わなきゃってなるじゃん。」


マ「そうですね。でもどうやって子どもを誘い出すんです?」


ハ「そこなんだよ~、今困ってるのは。どうしたらいい?」


マ「笛でも吹いていればいいじゃないですか。それしかできないでしょ?」


ハ「えっ」


マ「えっ」



ハ「いや、でもさ、笛って微妙じゃん?すげー神経使う割に効果音とか『ピー』じゃん。隠語じゃん。俺だってギターとかギャンギャン鳴らしたいよ。ブイブイ言わせたいよ。」


マ「ブイブイ言ってる時点ですでに微妙ですよ。」


ハ「」


ハ「とにかく、なんか笛じゃない違うことで人を誘い出したいわけ。なんか芸とかしてさ。」


マ「ゲイですか?」


ハ「違う。すごく違う。なに?なんなの?このブログ?ゲイの話題多くない?頭大丈夫?」


マ「えっ」


ハ「えっ」




マ「でも芸は一日にしてならずですよ。それなりに努力しないとだめですよ。」


ハ「う~ん、そっかー・・。どうしたらいいかな~・・・。」


マ「最近の流行でいったらどうです?たとえば本とか。」


ハ「あ~!それいいね!『もしドラ』とか『KAGEROU』とか!」


マ「いいですね~、『もしもドラッカーが高校野球の女子マネージャーだったら』ですね~。」


ハ「ちがう。何その売れなさそうなタイトル。読者すげー限られてるじゃん。」


マ「あっ、『もしもドラッカーが高校野球の女子マネージャーに手を出したら』でしたね。」


ハ「それ犯罪だよね?キヨスクの本棚の端っこの官能小説ゾーンにあるやつ?」


マ「あっ、思い出しました。『もしも高校野球の女子マネージャーが」


ハ「そうそう!」


マ「ドラッグに手を出してしまったら・・』でしたね!」


ハ「そうs・・・だから違うって!それも犯罪だって!そうそう言いかけてちょっと恥ずかしいじゃん俺!」


マ「薬物ダメ!!絶対!!!」


ハ「しらねーよ!!いや、だめだけど!本当は知らないでしょ?!いい?『もしドラ』っていうのは」


マ「高校野球部の女子マネージャーが、マネージャーの本だと思って買ったのが実はドラッカーの『マネイジメント』で、でもその本をもとにマネージャーのみなみが野球部を『マネイジメント』していく青春小説ですよね。」


ハ「一回殴っていい?ねぇ、お願い。そんなに強くしないからさ。」


マ「いやです。でもこのみなみっていうマネージャー、人としてぶれすぎですよね。普通に考えて間違えないじゃないですか。表紙とか見れば一発じゃないですか。」


ハ「いや、そこはいいじゃん。悪魔の実の原理とか知らなくても『ワンピース』は楽しいじゃん。」


マ「やっぱり、一発決めてたんじゃないですかね??ドラッグ!!」


ハ「なに?みなみちゃんになんか恨みでもあるの?そんなに決めさせたいの?そうじゃなくてさ、どうやったら『もしドラ』で子どもを連れ出すかを考えてよ。」


マ「というか、『もしドラ』に子どもって食いつきますかね?」


ハ「あっ」


マ「えっ」



マ「もう笛でいけばいいじゃないですか。それだけ吹けるんですし。」


ハ「仕方ないか~・・・。もっとぱっとしたかったんだけどな~・・・。」


マ「仕方ないですよ。所詮あなたの存在価値なんてそんなものなんですから。」


ハ「えっ」


マ「えっ」





~Fin~

今日、家庭教師先の子にこんな質問をされました。


「”teaching Japanese”ってどうして『国語を教えること』って訳しちゃだめなんですか?」



このとき、日本人がどうして3~6年も英語を勉強しているのに話せるようにならないのかがわかった気がしました。(ただし、真面目に勉強しても、ですが。)この生徒の言葉に答えがすべて集約されているんじゃないでしょうか。


学校で英語を勉強するときって、かならず英文を書いて、読んで、訳して、単語やら構文やらを暗記しますよね。これは完全な受け身の勉強といえます。

勉強とは、本来、「なんで?」から始まって「なるほど!」に収まらなければならないですよね。ただ、この「なんで?」にも2パターンありまして、それは、①与えられた問題に対する”受動”の疑問②ふとした拍子に現れた問題に対する”能動”の疑問に大きく分けることができます。


テスト勉強を思い浮かべてみてください。

学校のテスト勉強なんかは、学校のワークやら塾の教材やらをひたすら解いた人が高成績を残していませんでした?これは受動の勉強にあたります。いくら教材で新しい問題を解こうとも、結局それは与えられたものにすぎません。この勉強の良いところは、短期間に多くの物事を表面的に理解することができるということです。逆にいえば、短期的かつ表面的にしか物事を理解することができません。


それに対し、ワークとか問題集を解いているとき、ふと、答えに疑問を持ったりだとか、解き方に疑問を抱いたこととかありませんでした?「なんでこの答えじゃないとだめなんだろう?」「この問題はどうしてこの解法じゃないとだめなんだろう?」のように。これが能動の勉強です。物事の本質について理解しようとする、自ら問題を提起する勉強です。この勉強は、今まで以上に深化した、物事の本質について理解することができます。ただし、自分が一時的に身に付けた知識に対して新たに問題提起を行うため、時間がかかるのが欠点です。



僕たちが義務教育や高校教育の中で行ってきた英語の勉強というのは明らかに受動の勉強です。むしろ、能動の勉強を排除する方針の学校のほうが多いのではないでしょうか。限られた時間の中でより多くの英文を読むにはそのほうが効果的ですからね。ですが、英語を話すという観点からすると、この勉強方法は間違っているんじゃないでしょうか。



英語を話すということは、つまるところ、「自他の相互理解」のためといえるでしょう。すなわち、英語を勉強する以前にまずは自分を理解し、他人の主張を理解しなければなりません。これは英語に限らず、すべての言語において、さらにはすべての言葉においていえることです。そこにはマニュアルなんてものは存在しないはずです。それなのに今の英語教育ではいまだに「This is a pen.」のような文章に1時間もかけて文法説明や単語説明を加えている。はっきりいって無駄です。事業仕分け対象になりますね。笑

ただ、英語教育の目標が目に見える形ではっきりと出てきていないのが問題っていうこともありますが。むしろそっちのほうが個人的に問題なんじゃないかとは思うんですけどね。



まぁ、大切なのは、やっぱり受動と能動の適切なバランスなんじゃないかと思うんですよ。どっちかに傾き過ぎると効率っていうのは落ちちゃうわけでして。これは英語に関してだけでなく、すべての勉強という行為についていえることなんじゃないでしょうか。表現と理解を兼ね備えた勉強を心がけたいものですね。

ついこの間の話。



実習の帰り、いつも通りJRに乗り、いつもの駅で降り、改札を通る。


すると目の前に同じ電車から降りてきたであろう人が目にとまった。


たくさんの人ごみの中、その人(Aさんとしよう)の鞄だけあいていたのである。


そのままにするのもなんかあれだったので、声をかけることにした。


俺「あのー、(鞄の)チャックあいてますよ~」


Aさん「あっ!ありがとうございます!!」












そっちもかぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!




いやいやいやいや!確かに僕も鞄のとは言いませんでしたけど!そりゃあ僕にも非はありますよ!いや、やっぱり全然ないけど!!あなたの中では「チャック=ゾウさんコンニチワ!」なんですか?!ていうか、チャックって言われてそっちのほうがまず出てくるっていうことは前にそんな経験があったっていうことだよね???常習犯か!!!




てか、ちょっと恥ずかしそうにするのやめて!!!!

俺があなたの股間ばっかり凝視していたとでも思っているんですか??違うよ、違うよ君、激しく違うよ!女の子のだったら全然凝視しますけど!!あっ、ごめんなさい嘘です。じゃなくて!そんな趣味ないですからねっ!なんかこの前安部さんの「やらないか?」とか画像ではっちゃったけど、全然そんな気ないからね!?アメリカ行った時に確かにガチホモに間違えられましたけど、全然そんな気ないですからねっ!?まぁ、その話はまた今度します。とりあえず、


俺は女の子が好きなんじゃ~~~~~~~!!!!



俺の中のけしかす

↑噂の安部さん



しかもなんでこういうシチュエーションの時に限って、帰る方向同じなんですか?

違うよね、それ、女の子と一緒だと狂喜するシチュエーションだよね??なんで股間の秘密を共有してしまった男同士で分かち合わないといけないんですか??なにこれマジ拷問。このまま押し倒されて犯されるんじゃないのかと内心びくびくですよ。ニューヨーク以来の冷や汗もんですよ。。まぁ、無事何事もなく過ぎて、貞操は守られましたけど。





もうチャックとか言わないよ、絶対。

人間って先入観にとらわれる生き物ですよね。むしろ、先入観にとらわれるということは人間である必要条件であるとすら言えます。十分条件ではないですけど。そのことについての議論はベーコンが唱えた4つのイドラに代表されるので、詳しく知りたい人はググってください


というのも、この先入観っていうのは人間の一種の自己防衛本能であるからです。


たとえば、あなたが街中を一人で歩いているときに、まったく知らない人に話しかけられたとします。そのときあなたはその人のことを完全に信用することができますか?という問題に突き当たるはずです。そして大部分の人は「いいえ」と答えるでしょう。それはその人に対する情報が不足しているからです。前もって、「この時刻に~な人柄の人が来る」と教えられていたならば、それなりの対策を練ってあなたはその場面に臨んだはずです。それができないからこそ、不安を抱くのです。


ではなぜ情報というものがそこまで必要なのでしょうか?


それは、「情報は、力であり、信頼であり、また、究極の自己防衛手段」であるからです。

ただし、ここでいう情報とは「当方にとって有益な情報であり、その価値は第三者にとって必ずしも有益である必要はない情報」のことを指します。


現代において、情報というのは絶大な価値を持っています。インターネットや書物の普及率を考えると、理解にはそれほど苦しまないでしょう。現代でいうところの「力」とはすなわち「お金」であり、また、お金とは信頼の尺度の一つとみなしても差し支えないでしょう。(ただし、お金と信用は同義ではありません。)代表的なところでいくと、雇用主と労働者との関係でしょうか。労働を賃金という形で価値へ変換しているのですね。また、専門家が専門家たる由縁もここに起因するのでしょう。情報を持たない専門家は専門家とはいわないですね。


しかし、情報のもっとも本能的な意味合いというのは「自己防衛」というところにあるんじゃないでしょうか。この話をするためには、人が狩猟生活を営んでいたところまで時代をさかのぼる必要があります。それも、言葉と呼ばれる画期的な情報伝達システムがまだ確立していなかった時代へ。


またここでひとつたとえ話をしましょう。

あなたは今、快適な室温に保たれた部屋でパソコンと向かい合っていることでしょう。そして瞬きをした次の瞬間、あなたはアフリカのサバンナに一瞬で移動してしまいます。身につけているのは、おしゃれを意識した派手な服か、ゆったりとした部屋着、あるいは何も身につけてない人もいることでしょう。しかも、目の前には大きな動物の足跡があります。


このとき、あなたは確実に生き残れると言いきることができますか?


仮に、現地に住む部族の人と出会えたとして、言葉が通じない相手に自分の状況を正確に理解してもらい、「助けてくれ!」と頼むことができますか?



この土地のどこが一番危険な場所なのか?

逆に、どこが一番安全なのか?

手助けしてくれる人は存在するのか?

自分に害を及ぼす人は存在するのか?

もとに戻る方法はあるのか?

猛獣とであった場合、どのように対処すればよいのか?


事前にこのような情報を得ていた場合と、上記のような場合では、生存できる確率というのは大きく異なることでしょう。また、もしあなたが他人とコミュニケーションをとる何らかの手段を持っていたなら、生き残ることができたかもしれません。言葉とは、そのために生まれてきた情報伝達のシステムなのではないでしょうか。



話を戻すと、先入観というのはこの「自己防衛」の部分が現代に適応した形なのではないでしょうか。今の日本ではさっきのサバンナの話とはほぼ無縁ですから、より現代に合った、すなわち、「自分と他人との摩擦による不利益」を排除するために生まれた思考のプロセスの一つなのでしょう。特に日本は農耕集団であったわけですから、外国のそれと比べて特にその特色が強いと思われます。



「先入観で人を判断してはいけない」という話もよく耳にしますが、僕にとってそれはひどく無駄な作業にも思えます。いくら初対面の人といえども、その人の風貌、服装、体系、顔立ちによって、必ず何らかの印象を持つからです。仮にその印象を否定してみたところで、結局はその否定した結果が新たな先入観を生み出しているため、あまり意味をなしていません。

さらに、「先入観を持ってはいけない」ということ自体、その先入観をもって他人と接することになります。自己言及のパラドックスですね。


見た目が怖い人に対しては、

「見た目は怖そうだけれど、案外いい人かもしれない」と思うのと、

「見た目が怖そうだ、ちょっと注意しておこう」と思うのとではそんなに大差はありません。

結局のところ、肝心な「いい人なのか悪い人なのか」というところは実際に交際するなかで確認できることなのですから。


はじめに力を入れすぎないで、対面後の関係の見極めに力を入れたほうが、人生楽に楽しく生きられるんではないでしょうか?

「雪なんて解けてしまえ!」とか調子こいてすみませんでした。降ってくださいお願いします。このままだとゲレンデいけないです。すげー私的な話ですみません。反省はしていません。テヘッ。


今年は雪が積もったかとおもいきやすぐに溶けて、また積もっての繰り返しで嫌になりますね~。じらしプレイとかあんまり好きじゃないんですけど。じらす方だったら全然好きなんですけど。しょっぱなからぶっ飛んでますね。反省はしてません。


よく考えてみると、スキー場ってすごい運任せな商売ですよね。雪降らなかったらおまんま食えないわけですからね。人工雪がなかったらスキー場的にはかなり厳しいんじゃないですかね。自然は人間の手に余る存在ですからね。間違っても、熊に餌付けしないでくださいね、自然○○団体さん!熊スプレーとか意外と値段するんで大変なんですよ、○○保護○○さん!めっ!(笑


あれ?なんの話でしたっけ?

あ、スキー場でしたね。

スキー場というと、ウィンタースポーツをする施設っていうイメージがあると思うんですけど、実はあそこ、出会いの施設でもあるんですよ~!




この言い方で出会い系を思い浮かべた方は僕と同じあれな思考のタイプの人間です、おめでとうございま~す!全然めでたくないですね、イラッとした方はまだ引き返せます。落ち着いて自分を見つめなおしてください。イラッとしなかった方は今すぐエッチなサイトに進んであふれるリビドーを発散させてきてください。






ごめんなさい、普通に気持ち悪かったですね。反省したほうがいいですね。



話を戻しますね~。

出会いといっても、僕のいう出会いっていうのは純粋にコミュニケーションの機会のことだけをさしてます。たとえば、ボードの作業場とかでボードいじくっているところに見知らぬ人が話しかけてきて、会話が盛り上がるといった感じですね。ゲレンデって、ウィンタースポーツっていう同じ趣味をもつ人が集まってくる場所なんで、結構話が合う人が多いんですよね。それを狙ってゲレンデに行くのも結構面白いですよ。



でも、おいしい思い出もありましたね。


ある日、僕は友達とボードに行く約束をしていましたが、当日になってドタキャンされたんです。むしゃむしゃしながらも、せっかく前日準備もしたことだし、とりあえず一人で行くことにしました。

ゲレンデに着くと、休日なだけあってかなり混んでいました。気分はさらに下がります。

「まぁ、2時間くらい滑って帰るかな・・・」

と思い、リフト券売り場のほうに向かうと、おそらく欧米から来たであろう女の子(アヴリル ラヴィーンの化粧を薄くした感じの子)が困った顔をしておろおろしていました。どうやら券の買い方がわからなかったようです。そこで僕は紳士的な態度で対応したわけです。券の買い方や施設の説明を一通り終えると、その子は満面の笑みで「ありがとう!とても優しいのね!(Thank you! You're very kind!)」といったんですよ。もうその笑顔ったらマツコデラックスですら母性に目覚めるレベルでしたね。その瞬間、僕はその子を手を取り、「僕と一緒に滑りませんか?」と言ってました。するとその子はちょっと恥ずかしそうにしながらも「もちろん!」といってくれたんですよ。もうね、天使ですよ天使。天使ちゃんマジ天使。そのあとは、一緒に滑って、ご飯食べて、また滑って、帰りにあったまりたいねってことでホテルに行って、あれして、帰りました。もう幸せでしたね。






まぁ、嘘ですけど。こういう誰も得しない嘘とか大好きです。
友達にドタキャンされたのは嘘です。

むしゃくしゃしたのも嘘です。

女の子が困っていたのも嘘です。

外人のくだりは本当です。

ホテルとかも嘘です。

マツコデラックスが母性に目覚めたのは本当かもしれません。



というか、基本おじさんとしか引き合わないですからね。なんかおじさんを引き寄せる体質っぽいです。外人さんもおじさんでしたし。なんなのこのおじさん三昧。ドリフの中に一人だけ突っ込まれる感覚ってこんな感じなのかな?知らんわ!



俺の中のけしかす