先日、キャプテン・ビーフハートの事を書いた。彼が自分なりのブルーズを追い求めていたことを。じゃがたらの江戸アケミは常に、お前はお前のダンスを踊れ、お前はお前のロック(ブルーズ)を歌え、と叫んでいた。

 

 自分なりのブルーズを追い求めることは、実はポピュラーミュージシャンにとっての夢であるのだ。山下洋輔さんなど、音大卒業論文が、確か「ブルースの研究」であったはず。そこでは小泉文雄(字違う?)先生の「核音」理論であったりね。かいつまんで言うと、それはある種の「手癖」或いは「方言」みたいなもので、ある音が出ると、その次の音階はブルーノートになると言うもの。沖縄音階の「シナ」抜きなどもその例だと言う。

 

 で、山下洋輔さんはどうしたか、もうとにかく感情に任せてドシャメシャなフリージャズを展開することになる。そのドシャメシャの中に自分なりのブルーズが浮かび上がってくるという確信を持ってね。実際、山下洋輔さんはメチャメチャ上手いんだぜ。

 現代のロックに於いて、様々なジャンルが存在している。それらは殆ど、自らのブルーズを求める旅から生じたのもと言える。イタリアなどのヨーロッパ圏では子供の頃からクラッシック音楽が身近だったり、イギリスではフォークソングが身近だったりした。

 だからその地域の人間は自分なりのブルーズとしてクラッシックを基盤とするプログレッシブロックやフォークロックを演奏したりしたのだ。アメリカでも同じで、いわゆるカントリーミュージックが主要な世界で、当然、それを前提としたロックが盛んに歌われたわけだ。

 例えば。フォークの神様と言われた岡林信康さんが海外レコーディングした際、現地のミュージシャンに言われたらしい。「お前のブルースは何だ」と。岡林さんにとってそれは大きな衝撃となり、帰国した後、何故か「エンヤートット、エンヤートット」などと歌うようになったのには少し笑った。

 

 まあ、今やブルーズがどうした、とか本気で追い求めているミュージシャンは殆どいない。なんでもサンプリングだし、ラップ以降、音階とか意味無いし。

 それが良いことなのか、おれにはよくわからない。でもねえ、激しいロックの中にちゃんとしたメロディーラインやコーラスパートがあるのが好きなんだよ。オールドファンなんだ。