本当に遅まきながら「ゴジラ-1.0」を見る。当初からこんな映画は絶対劇場で見るべきだと思っていたのだが、アマゾンプライムで見放題となったことで、自宅TVで鑑賞する。

 

 多くの諸兄らが指摘するとおり、ここにはちゃんとしたドラマがあって、思わず涙してしまう。この後、ネタを割るが、それが鑑賞の妨げになるとは思わない。ど、これは復員兵たちのドラマと言えよう。

 主人公「敷島」が死線を超えて復員し、実家に戻るとそこは焼け野原であった。隣人のおばちゃんに「ウチの家族も、あんたんちの両親も皆、焼かれて死んじゃったよ」「いまさらおめおめ生きて帰ってきて、あんたらがしっかりしてないから、このざまじゃないか」と詰め寄られてしまう。当時の前線の兵士たちも、いや日本人全体が「天皇」の名のもと、一人残らず死ぬことを、概念的にも考えていた時代である。南方戦線で100人に5人くらいしか生き残れなかった戦闘を生き延びて、命からがら復員すれば、このざまである。復員兵たちが生き残ったよりも「死に損なった」と考えるも無理もない。

 敷島が偶然知り合った子連れの娘と一つ屋根に暮らしながら、決して夫婦とならず、娘にもおれはお父さんじゃないよ、と言い続けるのは、それはこの先、本当に死ななければ生が貫徹しないからだろう。おれは特攻隊から逃げ出した死にぞこないだ、と。

 

 もちろんアカデミー賞を受賞した特撮技術も見ものであるし、ゴジラの造形とその破壊力も見事である。ゴジラが「戦争」や「原爆」の象徴であることを見事に表現していて、襲われ殺されるのは常に一般の庶民である。そして何より口から吐き出す放射線砲のその威力である。まるで原爆投下の様に、巨神兵が放つ光線のように地平線まで焼き払う如く、巨大なキノコ雲が広がる。

 銀座近くでその光線が吐き出され、原爆の様にきのこ雲が立ち上がるとともに、ヒロインの、えーと誰だっけ、が爆風で吹き飛ばされ、敷島がビルの谷間で耐えるとこなど、広島原爆の1シーンに思えるようだ。

 そしてゴジラ退治で集められた復員兵たちに、元駆逐艦長が言う「この国は玉砕だの特効だの、人の命をあまりに軽んじてきた」と。

 

 と、まあドラマ部分を書いてきたが、実際ゴジラの上陸からの特撮の割合は、さほど多くない。ゴジラはひと暴れした後、さっさと海に帰っていく。そういう意味ではゴジラは狂言回し的な立ち位置にあると言ってもよい。もちろん特撮場面の素晴らしさは見事であるが、あくまでドラマを引き立たすパーツに留まることも素晴らしいことである。

 後半、4隻の駆逐艦の造作もまた見事である。よく見ると武装解除されているため、主砲が短くカットされたり外されたりしている。また寄せ集めの隊員だけに元海軍兵、元陸軍兵が入り乱れているのだが、それぞれも兵員マナー、敬礼の手の位置の微妙な違いや、軍服や帽子についての微妙な違いも復元されていて、かなり時代考証に手間をかけた印象。非常にきめ細かく作られたドラマだと言えよう。

 

 見放題だから、また再度鑑賞して、そうしてまた泣こうと思う。泣くよ普通。