雨模様の日曜日、こんな日にイオン系の大規模量販店に出掛けることなど、絶対しないはずであるのだが、如何ともし難いのは、見たい映画が、昼時、たった一回だけ上映されるからである。もう混雑を避ける気で、朝10時には原着である。なんとしても見たいのは「パーフェクト・デイズ」ヴィム・ヴェンダース作品である。

 

 結論から言うが、素晴らしい映画表現であった。この後、ネタばれしますが、個人的には、ネタがばれようと、この作品鑑賞に影響は少ないものと思う。

 

 先行情報では、役所広司演じる「平山」が毎日東京都内のトイレ掃除をして、その変わらない日々を淡々と描いた、とされている。特に大きなドラマは無い、というのは聞いていた。

 冗談じゃない。一体、アナタがたは何を観ているのか。我々が単調な毎日を送りながら、それでもいろんな事が起きるように、「平山」にも毎日、様々な出来事がやってくるのだ。柄本時生演じる職場の後輩の恋愛沙汰のゴタゴタに巻き込まれ、古いロックのカセットを売らされそうになって、思わず金を貸したり、その柄本が突然、仕事を辞めると言い出したりする。そうこうしていると、姪っ子の「ニコ」が家出して、平山の部屋に転がり込んだりする。自転車に乗りながら、彼は姪っ子に、この世界には、見えている以外に、まったく違う世界があるんだ、みたいなことを言う。

 やがて、姪っ子の母親が、迎えに来る。それも運転手付きの高級車に乗って。実の妹である彼女の母親と少し会話を交わす平山。どうやら父親と何らかの確執を匂わせるが、まったく定かではない。そして妹役の麻生祐未の、哀しみと慈愛に満ちた表情に、おれは泣きました、本当に。

 

 行きつけの小料理屋で飲んでいる平山。美人ママを演じるのは石川さゆりである。客からせがまれ、十八番らしい歌を歌う。カウンターの端っこでギターをつま弾くのは、あがた森魚だ。歌う曲は「朝日の当たる家」なのだが、これは実は「朝日楼」なる遊郭に売られる女の歌で、石川も正しい日本語歌詞を見事に歌うのだ。

 

 ある日、その小料理屋のママが、開店前の店でオトコと抱き合っているのを目撃し、やけ酒飲もうとすると、そのオトコ(三浦友和)がやってくる。元の夫だと言い、ガンの転移が見つかって、最期に会いに来たという。何故か平山は彼と影踏みの遊びをすることとなる。この世の中を見捨てたものと、見捨てられたものとの影踏みは、何とも切ない。

 

 この作品の一つのテーマは影である。平山は木漏れ日を写真に撮ることが日課であるが、それはまるで、木の葉の影を追っているように見える。平山は毎晩、まさに影のような夢をみるようだ。それはどちらかと言えば、悲しく暗い印象の夢である。

 平山にとって、この世界は、まるでプラトンのイデア世界の如く、すべて何かの影なのかもしれない。本当の世界は、見えないところにある、何か、なのかもしれない。故に平山は、常に影を追い求めるのかもしれない。

 

 そして、感動的なラストがやってくる。ニーナ・シモン(おれ、大ファン!)の「フィーリング・グッド」を聴きながら、その曲のテンションにあわせて、平山の表情が変化する。それも笑い、微笑み、そして泣く、と絶妙。役所広司は上手いぞ、と言い張った柄本明の言葉通りである。

 

 また古いロック好きなら、ぜひとも見るべき。ルー・リード、ヴェルベッド・アンダーグラウンド、オーティス・レディング、キンクス、ヴァン・モリソン、パティ・スミス、金延幸子など、それはそれは厳選されたミュージシャンの曲が流れる。

 

 今も、久しぶりに引っ張り出した、金延幸子「み空」を聴きながら書いている。もう、ほとんど泣いているのだ、おれ。