「お~い、桐乃……」
俺の周りをちょろちょろと忙しなく動き回る妹に声をかける。
「ん~……もうちょっと明るめの色の方がいいカモ……」
さっきから、俺は桐乃の着せ替え人形と化していた。
彼女が出来た数日後、今日は黒猫と恋人になって、初めてのデートだ。
俺の背中を押してくれた妹様は、俺の着る服やデートコースやらに事細かく口をはさみ……というより、当初俺の計画していたプランの全てを「却下!」とぶった切って下さった上、すでに用意していたであろう、服と、デートコースのメモを押しつけてきやがった。
その過程で俺が散々ボロクソに言われたのは想像に難くないだろう。
妹に、デートに着て行く服や予定を全部決めてもらう兄貴――最高にカッコ悪いな。
しかし、桐乃のセンスなら外れがないだろうことも事実なので、俺はこうして言われるがままになっていた。
それでも内心面白くないので、ついつい反抗してしまうと、
「桐乃さ―ん?もう、服とかあれで良くね?ほら、前、お前と偽デートした時のやつ」
平手打ちを喰らった。
「痛ってーな!なんで叩くんだよ!?」
「うっさい馬鹿!バカバカバカ!ホントばか過ぎ!死ね!」
な、何いきなりマジギレしてんだよ!?
あいっかわらず意味分かんねえな、お前は……!
俺と妹の間に火花が飛び、俺達はそのまま睨みあいに突入する。
――そして言うまでもなく俺が負けた。
「……そうだよな。こうやってお前が一生懸命考えてくれてんだもんな。悪かったよ」
「…………………………ふん」
桐乃は俺の肩をバシっと叩いて、
「良かったね~。ダサくて鈍感でダメダメなあんたでも、ちょー優しい妹のあたしのおかげで、ちょっとはマシなデートができるかもよ」
「……チっ、言ってろバーカ」
「べーだ。……ま、あんたがダサいと、一緒に歩いてるあいつが可哀想だもんね~」
ヘーヘー。あくまで黒猫のためですか。ケッ。
こいつ、俺の心配なんざ1%たりともしてやがらねえな。
「じゃあな。行ってくるよ」
俺は苛立ちを押さえて部屋を去り、階段を下って玄関に到着する。
これまた桐乃のセンスによって選ばれた、今日の服と調和した新品の靴が俺を待っていた。
イライライイライライライライライライライラ……。
……初めて出来た彼女との初めてのデートだってのに、なんで妹なんかにあれこれ言われなきゃなんねーんだよ。お前は関係ねえだろうが。
黒猫の友達だからなんだっつーんだ。
「ねえ」
俺の気も知らず、階段の上から桐乃が声をかけてくる。
「あんだよ?まだ何かあんのか!?」
靴を履きながら顔だけで振り返ると、「びくっ」と怯える桐乃の姿が目に入った。
そんな珍しい妹の姿にハッとして我に返る。
……くそっ。
桐乃がムカつくなんて、いつものことじゃねーか。
しかも今日のあいつは、友達の心配をして一生懸命だっただけだ。
なのに、その友達とデートしようっていう俺がキレるのは、おかしいだろうが……。
そんなこと――そんなこと、頭じゃ分かってたはずなのに、どうして。
「わ、悪い。大きな声出しちまったな」
「………ん。別に、いいケド」
桐乃はシュンとして俯いてしまう。
そんなしおらしい妹に違和感を感じて、
「……なぁ桐乃。お前、最近ちょっと変じゃねーか?」
「へ、変って……、何言ってんの?」
「いや、何て言うか……どう言えばいいかわかんないけど」
俺は、どうしてだか知らないが、最近の妹が、寂しそうにしている――多分、そう感じていた。
まるで、初めて参加したオフ会でハブられて、ひとりポツンと立ち尽くしていた時のような、そんな悲しげな雰囲気を、今のこいつは纏っていた。
表面上は、いつも通りの桐乃に見える。
ゲラゲラ笑ったり、ちょっとした事でムカついたり――そんないつも通りの高坂桐乃に見える。
だから、俺は自分でもなんでこんなことを考えてしまうのか分からず、言葉に出来ない。
「……はぁ。変なのはあんたの方でしょ?」
「え?お、俺が?」
「そ。あんたさ、彼女出来たんでしょ?幸せじゃないワケ?」
「おまっ!?」
この野郎なんて恥ずかしいコトを!?
初心な俺はかあぁっと顔が熱くなった。
狼狽する俺に向かって、妹が階段を下りてくる。
「普通さぁ、好きな人と恋人になれたら、すっっっっっっごく、幸せだと思うじゃん?なのにあんたってばなんか不満そうだしー?さっきもすごい怖い声出したじゃん」
「…………それは悪かったよ。なんだ、怒ってんのか?」
桐乃は「ちっ」と舌打ちし、
「あのねー、あたしがムカついてんのは、せっかく彼女が出来たのに、ちっともあんたが嬉しそうにしてないことなの。……あんた、ちゃんとあいつのこと好きなんでしょうね?もし本気じゃないのに付き合ってんなら、マジ許さないよ」
「そ、そんなことねーよ。つーかな、逆に言わせてもらうけど、なんだってお前はそんなに干渉してくんだよ」
「っ、それは…………………………」
最近感じている不満を桐乃にぶつけてやる。
すると妹は、言いにくそうに口を噤んでしまった。
目を伏せて悔しそうに下唇を噛み、俯いたまま、桐乃は再び口を開く。
「……二人が上手くいくかどうか、心配してあげてるんじゃん……」
「………………………そっか」
俺達二人を――というより、黒猫のことを心配してるんだろうお前は。
不甲斐無い俺が、大好きな友達を傷つけないように。
今日のデートが少しでも楽しい思い出になるように。
こいつなりに気を使って、デートの計画を立てたり、俺の服を見繕ったりしてくれたんだろう。
素直じゃない俺の妹が、友達のために色々頑張っている姿はきっと微笑ましいものだ。
そしてそれは、感謝すべき気遣いに違いない。
「ありがとな、桐乃。あいつの分も、礼を言っておくよ」
「……ん」
俺は靴紐を結び終えて、すっと立ち上がる。
片手を上げて、妹に挨拶をした。
「んじゃ、いってくるわ」
「……………………………あ、あの!」
玄関のドアノブに手を掛けたまま振り返る。心配そうな顔をしてる妹のために、微笑んでやった。
「ん?」
「………………………なんでもない。が、頑張ってね、兄貴」
「おう!」と力強い返事をして家を出ると、
「眩しっ」
途端、強烈な太陽の光を全身に受ける。雲ひとつない快晴だった。
――妹に応援されて、頑張らないわけにはいかないな。
桐乃に「頑張って」なんて可愛いこと言われたの初めてだしな。
だけど、喜ぶべきことのはずなのに――何故だろう。俺の心は晴れなかった。
駅前のコンビニでスポーツドリンクを買い、外に出たところで開封する。
ごきゅごきゅと喉を潤し、ロータリーを回って目的地へ向かうと、約束の時間まで後30分もあるっていうのに、もう待ち合わせ場所に着いてしまった。
だけど既にそこには、俺の知る細い後ろ姿が、ひとりポツンと立っている。
ここで俺はちょっとした悪戯を思いついた。誰もが考える定番のアレだ。
少々ガキっぽいが、緊張をほぐして、初めてのデートの掴みを得る意味もある。
そろり、そろりと黒髪の少女に近づいていく。
後3メートル程のところで、目を閉じて大きく息を吸い込み――。
「――何をするつもりかしら」
「ぶげぇえぇっ!!??」
吸い込んだ息の分、盛大に咽せた。
「ふ……。侮られたものね。人間風情がこの私の背後に立つなど、笑止」
「ごほ、ごほっ……お前なぁ……!」
「何かしら?人を背後から脅かそうとした男が、何を言うつもり?」
「………なんでもないっス」
これからデートだってのに、初っ端から邪気眼発言かよ、と内心ツッコむ。
そんな俺の恋人は、今日も例の白いワンピースに、つば広の帽子を被っている。
白い肌と白い服に、綺麗な黒髪のコントラストと、目には赤のカラーコンタクト。
そのすべてが、夏の強い陽光にさらされ、輝かんばかりに見えた。
「やっぱ、その服似合ってるな。可愛いぜ」
「そ、そう……?あ、ありがとう」
頬を赤らめ、きょろきょろと視線をさまよわせる黒猫。
「先輩のその服も………、」
何かに気付いたかのように言葉を区切り、
「……自分で選んだのではなさそうね。あなたのセンスではないわ」
「へ。お互い様だろ。ていうか、素直に褒めてくれてもいいんじゃねーの?」
「に、似合っていないとは言ってないわ」
ぷい、とそっぽを向いてしまう。
黒猫と出会ってから1年以上が経っている。今の俺なら、これが機嫌を損ねた時の反応じゃないということが分かる。きっと1年前の俺なら、「何考えてんだかわかんねー」と思ったに違いない。
1年前かぁ……こいつと恋人同士になるなんて、考えもしなかったよな。
だけど今や、間違いなく俺の彼女だ。
ポケットの中に畳んで入れたメモを指でこすり合わせる。
――背中を押してくれている誰かさんのためにも、今日一日、こいつを目一杯楽しませてやろう。
そう思って、俺は黒猫の肩をぽんと叩き、
「よっしゃ、じゃあ、まずは――」
水族館から並んで出てくると、西からの日差しで風景が朱色に染まっていた。
海沿いの広場には、こんな綺麗な風景だと言うのに人通りは決して多くない。まるで映画のワンシーンのように、海鳥の切ない泣き声がその光景に演出を加えていた。
「……もう、夕方なのね」
黒猫が呟く。
言いたいことは分かるよ。俺も同じ気持ちだ。
結果から言うと、今日のデートは大成功だった。
桐乃の選んだデートスポットはどれも黒猫の好みに合致していたらしく、落ち着きなくそわそわしている彼女を見ているだけでも俺は楽しかったし、きっと黒猫も楽しんでくれただろう。
途中、照れまくる黒猫に罵倒されながらも手を握ったりと言った、ソフトな接触も出来た。
初めてのデートにしては、上出来だったんじゃないだろうか。
俺は安堵とともに口を開く。
「なぁ黒猫」
「何かしら」
「今日はさ、その…………楽しかったか?」
「そうね。及第点、といったところかしら」
えぇ…………!?
それってつまり、楽しくなかったってことか?
がっくりと肩を落とす俺。
「な、情けない顔をしないで頂戴。……楽しくなかったなんて、言ってないでしょう」
「ほ、ホントか?」
「まったく、あなたときたら……ええ、そうよ。楽しかったわ。どこも以前から行ってみたいと思っていた場所だったもの。それに………」
頬を染めて、
「ずっと、あなたといっしょだったから」
「…………そ、そっか」
「そうよ」
目を離さずに、俺のことを見つめ続ける黒猫。
彼女の呪いの力なのだろうか、俺も何かに縛られたように、目を離すことが出来なかった。
……少女の赤い瞳が迫ってくる。
黒猫は俺の肩を掴み、そして―――
「あーーーー!!あのひとたちチューしようとしてるーーー!!」
思わず、無邪気な声の主へと顔を背けてしまう。
そこには幼い少女と、彼女よりも頭一つ大きな男の子がいた。
少年は、女の子の頭をぺし、とはたくと、
「こら、ジャマしちゃダメだろ!」
「えへへぇ……おにいちゃん、あのひとたちこいびとどうしなのかなー」
「だからダメだってば。言うこと聞かないなら、おいてっちゃうからなー」
少年はそう言って、小さな妹を残し、一人歩いて行こうとしてしまう。
俺はどうしてか、その光景に強い既視感を覚え、彼らのことをじっと眺めてしまっていた。
不意に、肩を掴んでいた儚い力が離れて行くのを感じる。
はっとして振り向くと、悲しげな微笑みを浮かべる恋人も幼い兄妹をを見つめていた。
「あー、まってよおにいちゃんー」
女の子は追いつこうと走るが、歩幅の差もあって、なかなか距離は縮まらない。
それでも兄に追いつこうと懸命に走って――転んで、泣いてしまった。
妹の泣き声に気付いた少年は、面倒くさそうにしながらも少女のもとへ助けに走る。
泣いている妹を助け起こして、頭を撫でて一生懸命に慰めてやると、ぐずついていた妹も落ち着きを取り戻していく。
女の子はぽかぽかと少年を叩き、しかし決して離れようとはしない。
兄は困ったように頬を掻いていたが、やがて妹を背に乗せ、夕陽の射す道を行ってしまった。
「…………」
その二人の背中をじっと眺めていると、
「――仲の良い兄妹ね」
「……ああ。そう……だな」
鈴の音のような声に、胸を締め付ける懐かしさは浚われてしまった。
彼女へ視線を戻す。
「黒猫、さっきのは――」
「ねぇ。今日はあなたの妹はどうしているのかしら」
「……………どうして、桐乃の話なんかするんだよ」
「……先輩?どうかしたの?」
「どうって……別に、どうもしねーよ」
黒猫は「そうかしら」と小さく呟き、
「妹さんの話をするのが嫌なの?」
「そういうわけじゃねーよ。ただ、今は俺達二人きりなんだから……」
妹とはいえ、他の女の話は――そう言おうとしたが、黒猫の追及は止まらない。
「今まで何度も二人きりになったけれど、あの子の話をするのは、珍しいことではなかったわ」
「……そうだっけか?よく覚えてないな」
俺の意味不明な態度に黒猫は目を細め、普段のすげない口調で問い詰める。
「あの子と何かあったのでしょう。『お願いだから』言って頂戴」
「別に、何でもないって言ってんだろ」
「それは嘘ね」
「う、嘘じゃねーよ」
「嘘をつかないで頂戴」
「だから!……お前こそ、どうしたってんだよ」
急にあやせみたいな事を言い出しやがって。
その言い回し、俺にとっちゃトラウマもんなんだぞ?
黒猫は「やれやれ」と肩を竦め、
「以前も似たような事を言った覚えがあるのだけれど……ねぇ、先輩?」
「……何だよ?」
「私はね、ずっとあなたの事を見ていたのよ」
「――っ」
告白めいたその台詞にたじろいでしまう。
不謹慎にも、この場面でこいつにこんな風に言われて、俺の心臓は高鳴ってしまうのだった。
だけど、いつかのような、陶然とした気分にまではなれない。
他ならぬ彼女の表情が、あの日とは違っていた。
「だから、あなたの考えていることが理解るの。――当ててみせましょうか?」
「……へぇ。面白いじゃん。言ってみろよ」
なのに、同じように、どうでもいいと思っているような返事しか出来なくて。
そんな俺はきっと、内心を言い当てられると予感していたに違いなかった。
その考えは正しく、黒猫は俺の予感を的中させる。
「『なんで妹は、俺に彼女が出来るのに反対しないんだろう』」
「っ……………」
「……ふ。図星のようね」
少しだけ、胸の中に鉛でも入っているかのような、重い気持ちになる。
それはきっと、こいつに知られたくなかった、本当にどうしようもない、俺の本音だった。
「シスコン」
「……悪かったな」
俺はよろよろと歩き、傍のベンチにどかっと腰を下ろす。
大きく息を吸い、肺が空になるまで吐き出した。
「……なんで」
「分かり易いのよ先輩は。自覚が無くて?そうね、たまにボーっとしているし、仲の良い兄妹を見て、羨ましそうにしているし――」
「――わ、分かった。それ以上言わないでくれ!」
からかうようにニヤニヤと笑う黒猫を、両手を突き出して制止する。
ちっくしょう……。なんでこうなっちまうかなぁ。
今日が素晴らしい思い出になるよう、努めていたはずなんだがなぁ……。
俺は彼氏として、黒猫との時間を大切にしようと、自分の中の靄を払っていたつもりだった。
だってさ、折角の初デートなのに、彼氏が妹の事ばっか気にしてるなんて――ありえないだろ。
それでも、ふとした時に考えてしまう――そのわずかな隙を、黒猫は見逃さなかったのだろうか。
「すっげぇなぁ……。お前にゃ敵わねーよ」
心底からそう思った。
ふふ、と満足げな笑みを浮かべた黒猫は、
「ねぇ、先輩」
両手を後ろに組み俺に問いかける。
夕陽に照らされる、無垢な白い少女。
まるで絵に描いたかのようなその姿は、しかし、ほんの少し寂しげでもあり。
その顔を見て、「あぁ、こんな顔をさせたくはなかったのに……」と、今更ながらに罪悪感と後悔が押し寄せてくる。
「……なんだよ」
「……よかったら、話して頂戴。あなたの考えていること、感じていることを……。折角の私との逢瀬だというのに、何があなたの心を蝕んでいるのか、興味があるわ」
「……俺の考えが理解るんじゃなかったのか?」
黒猫は、「ふん」と不機嫌そうに鼻を鳴らし、俺の座るベンチに腰を掛ける。
「……あなたの口から聞きたいの」
意地の悪い表情――ではなく、かつて俺に愛を告げたあの日のような、真剣な目でそう言った。
そんな表情を見せられたから、冗談で済ませようとした事が後ろめたくなってしまう。
「……先に言っておくけどな。俺は今日お前とデート出来て、すっげぇ楽しかった。本当だ。いいか、それだけは信用しろよ」
「ええ。……信じてあげる」
俺はその言葉にとりあえず安堵し、黄昏ていく空を見上げて、本音を吐露する。
「そんで……お前の言うとおりだよ。俺は、桐乃が俺たちが付き合うのに賛成してるのが、寂しかった。すっげぇ寂しくて…………悲しかった」
一度堰を切った想いは止められず、ただ只管に言葉が流れて行く。
「俺はあいつに彼氏が出来たって聞いて、大慌てして、騒いで、無茶苦茶やらかしたのによ。なのに桐乃は、俺に彼女が出来るってのに、何も言わねえんだよ。いや、それどころか、俺たちの事応援するって、……俺に、頑張れって――あいつはそう言うんだ」
「そう……なの」
「俺は……それが、めちゃくちゃ悔しかった。俺はあいつの事に必死になっちまうのに、なのに桐乃は、俺なんかの事はどうでもいいのかよって……そう思ったら、悔しかった」
あいつが俺の事を嫌ってるなんて、そんな事は分かっている。
なのに俺は、そんな妹の事がかわいくて、心配で、しょうがない。
だから――これが俺の本当の気持ちなんだろう。
ずっと碌に口も聞かなかった桐乃と、また話せるようになって、頼られて。
一緒にいると、たまには楽しい事もあって。
――きっとそれが、本当は嬉しくて嬉しくてたまらなかった。
いなくなっちまった時は、寂しくて寂しくて死にそうで――だからこそ……頭の何処かで、あいつだって、俺に恋人が出来るのを嫌がってくれるんじゃないかと思っていた。
桐乃も、ほんの少しくらいは、俺に執着してくれる筈だと――勝手にそう思っていた。
だけど、そんなのは俺の思い違いだと、他ならぬ桐乃の口から言われてしまって、
「悔しくて、すっげぇムカついて……………………寂しかったんだよ」
見上げていた空は、その姿を鈍く歪めていて、朱色にきらきらと輝いていた。
そんなどうしようもなく情けない俺に、黒猫が優しく声をかけてくれる。
「それが、あなたの気持ち……なのね」
「ああ。そうだよ悪いかよ、情けない奴だと笑うがいいさ!」
こっぱずかしくて、ヤケクソ気味に返答を返す。
なのに黒猫は、怒るでも、呆れるでもなく、
「情けないだなんて……思ってないわ」
そう言ってくれた。
「…………そっか」
彼女の優しさが嬉しいのと、自分の言動のおかしさに、さらに照れくさくなってしまう。
「変態のシスコンだとは思うけれど」
「………」
……ですよねー。
妹が彼女作るのに反対してくれないからって取り乱すとか、完全にシスコン極めちゃってるもん。
しかもそれを自分の彼女に涙ながら語るとか……………。
ああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁァ―――――!!
ひぃ、は、恥ずかしい!!
今すぐこの場で気を失って、目が覚めたら全部無かったことにならないだろうか……!?
「――つまり、そういう事でいいのね?」
「へっ?な、何が?」
黒猫は「やれやれ」とため息を吐き、俺がそうしたように、夕暮れの空を見上げる。
そして、さっきは出来なかった話を切り出してきた。
「ねぇ、先輩。今日は妹さんはどうしているのかしら」
「……さぁ。あいつのことだから、仕事とか部活じゃねえかな」
「変わったところは、ない?」
「なんだ?心配してくれてるのか?」
「……茶化さないで答えて頂戴。あの子の様子はどうなの?」
真剣な口調で返されてしまい、面食らう。
どうも本気で桐乃の心配をしているらしい。
わっかんね―な。つい10日くらい前に会って、バカ騒ぎしたばっかじゃん。
だがそんな疑問も、黒猫の気迫に押しのけられてしまい、
「多分………だけどな。ちょっと元気がないかもしれない」
「……そう……」
視線を戻し、黒猫は小さな声で問いかける。
「どうしてだと思う?」
「……どうしてって…………そりゃ、俺達が付き合いだしたからじゃねーの」
「えっ!?」
目を見開いてぎょっとされてしまった。
「何驚いてんだよ。この間の打ち上げの時みたいにお前や沙織と遊ぶ機会が減っちまったから、ちょっと落ち込んでるだけだろ?」
「………あ、そ、そう。―――驚かせないで頂戴」
いや、俺の方が驚いたからね?まさかお前がそこに思い至らないとは思わなかったよ。
ていうか今のやり取りのどこにビックリする箇所があったのさ。
そこで会話が途切れてしまい、俺達はベンチに並んで夕陽を眺めていた。
ふと、恋人の横顔を盗み見る。
綺麗だと思った。透けるような白い肌も、赤いカラーコンタクトの入った瞳も、細く流れるような黒髪も――白と黒と赤、その全部が夕暮れの光に照らされて、とても綺麗だった。
だからこそ、彼女が寂しそうに見えて、それが何故なのか分からない。
俺の視線を感じたのか、黒猫はその顔のまま俺に向き直り、
「先輩」
「……何だ」
「あなたの『呪い』について、言っておくことがあるわ」
「呪いって……」
ほんの一週間ほど前のあの日を思い出す。
彼女から受けた『呪い』の言葉――愛の告白を。
「いいえ」
「――え?」
「その呪いのことではなく――もっと古い呪いよ」
「それって……俺がアメリカに行く前の?」
頬に受けた、呪いの接吻――。しかし、それは既に『上書き』されたはずだ。
他ならぬ黒猫自身によって。
「……いいえ。それも違うわ」
「……じゃあ………いつの事だよ」
まさか俺の気付かないうちに、キスとか告白とかしてくれてたのか……?そんな嬉しい事があったら、絶対忘れないはずだけど。
しかし、彼女の言葉は俺を混乱させるばかりだった。
「それは私にも分からないわ」
「はぁ?……お前、何言ってんの?」
黒猫は一気に捲し立てる。
「あなたにはね、呪いがかかっていたのよ。私が呪いを授けた日より、ずっと前から。でもそれは、巧妙に迷彩された術式によって、あなたからは隠されている。……気付かないのも無理は無いわね。あなたには『そういった力』を感じ取る能力が、人一倍乏しいのだから。」
「……だから、何の話だよ……」
「――いいから、黙って聞きなさい」
ムッとした黒猫に、、ぺし、と可愛らしく手首を叩かれてしまう。
一応俺の話を聞いてるあたり、邪気眼が発症したのではないだろう事だけは理解出来た。
だがそれでも、黒猫は止まらない。
「そして――きっと、その呪いのために、私の授けた呪いは、真の力を発現出来ないのよ。何故ならその呪いは、恐らく私の身をも蝕んでいるのだから」
「………」
「だから私は、いつかあなたが――そして私が、この呪いを打ち破るために、今は私の力を貸してあげようと思うわ」
こいつが何を言いたいのかは、全然分からない。誰が、何を――そういった部分を、きっと黒猫はぼかして喋っているのだろう。
「………今からあなたに躾を施すわ」
「……し、躾…………………っすか」
「ええ、躾よ。あなたを立派な闇の眷族にするための儀式――そうとも言えるわね」
宣告する黒猫の声は低く恐ろしさを感じさせるもので、俺はごくり、と喉を鳴らす。
黒猫は立ち上がり、真剣な表情のままゆっくりと右腕を上げ、俺の顔を指差して、
「あなたは、妹の事が好きなのよ」
そう告げた。
そのまま、どのくらいの沈黙があっただろうか。
後頭部をいきなり殴られたかのような眩暈を感じ、ずるりと、腰がベンチを滑っていた。
両腕で体を支え、何か言おうと口を開くが、
「もちろん――ただ『妹』として、ではないわ」
その言葉に、まるで死刑の宣告を受けたかのように息が詰まり、喉が鳴る。
震える腕で、力を振り絞って立ち上がり、逆に黒猫を指差してやる。
「ぉ、おぉお、俺が、…あいつを!?……、しかも妹としてじゃなく!?」
呼吸が乱れ、途切れ途切れに話す俺の調子に合わせ、こくこくと首を振る黒猫。
妙に可愛らしい仕草だが今はどうでもいい!
「……じょ、冗談だよな」
「………冗談に聞こえたかしら?」
ごくり。
「お、おまえ…………、馬鹿じゃねえの!?」
「馬鹿とは、どうして?」
「き、桐乃は妹だぞ!?現実の世界に、妹に恋する兄貴なんて、いねーーーよ!!」
「現に私の目の前にいるわね」
「だから誤解だ!仮にも彼氏に向かって何言ってんのおまえは!?」
「あら、随分慌てているようだけれど、本当に違うのかしら?」
「あ、慌ててねーよ!た、確かに、俺はシスコンだ!どうしようもなくシスコンだよ!!妹のことが気になってしょうがない、シスコン兄貴だよ!!」
「……っ」
黒猫は目を見開き、口の端をぴくぴくと痙攣させている。
引いてんじゃねー!おまえの発言にこそドン引きだろーが!?
「……だけどな、俺はあんな、ムカつく奴のことなんて………」
「嫌いなの?本当に?」
「……………嫌いだよ……おまえだって、知ってるだろ」
またも「やれやれ」と溜息を吐く黒猫は、再度ベンチに腰を下ろし、「こほん」と咳払いする。
「……これは、私の話なのだけれど………」
ちら、と俺に視線を投げかけてくる。
……今度は何だよ?まさかおまえ自身が自分の妹に恋してる、とか言い出さねーだろうな……。
ちょっぴり戦慄しながらも頷いてやると、
「私にはね、ある『とても憎い女』がいるの」
……誰の事を、とは言うまい。
「その女はね。いつもいつも私の事を嘲笑い、気に入らない事をしてきて、子供っぽくて、我儘で、馬鹿で傲慢で、ひねくれてて、なのに私が欲してやまない、多くを手にしていて―――ああ―――あの女の顔を思い返すだけでも腹が立つわ……………」
黒猫の赤い目が怪しく光る。今にも黒魔術の儀式でも初めて、『あいつ』のことを呪いだしそうな雰囲気だ。
しかし当然だがそんなことをするはずもなく、「でも」と彼女の語りは続く。
「だけど、そんなあの子がいなくなってしまった時、思い知ったわ。――私がどれだけ、あの女に執着していたかってことを。私が、どんなに――」
あいつがいなくなって、黒猫には変化があった。プライドの高いこいつが、人前で頭を下げてまで、自分の目的のためにひたむきに奔走していた、その原動力。
『大嫌いな友達を、見返してやりたい』――その想いは、どこから湧いてきたのだろうか。
あの時俺が聞いたつもりだった彼女の心の声は、きっと間違いではなかったのだろう。
ぽつぽつと、独り言をいうかのような淡々とした口調で、黒猫は桐乃への想いを語る。
「帰って来てからも相変わらずだけれどね。我儘で、世話が焼けて、憎たらしくて……まるで、年の近い、大きな『妹』が増えたような――そんな気持ちよ。やはり、この身にも呪いがかけられているのでしょうね」
最後の一言は、消えてしまいそうに微かな声だった。
「…………大嫌いだけど、大好きで…………きっと、そういうことなのよ」
気に食わない事はある。ムカついて、腹立って――だけど、決してそれだけじゃ、ない。
あいつには色んな一面がある。本人がそう言うように、その全部が桐乃なんだ。
桐乃の全てを好きにはなれない。だけど、全てを嫌いになる事は、もっと出来ない。
複雑で、矛盾を孕んだその気持ちは、決して悪いものなんかじゃないのだろう。
――黒猫と俺の桐乃への想いは、きっと同じようなものに違いなかった。
と、そこまで言っておいて照れくさくなったのか、顔を真っ赤にした彼女は俺を睨む。
「い、言っておくけれど、誰かに話したら呪うわよ」
「ぷ。言わねえよ。……ありがとうな、黒猫」
「ふん。自分の気持ちは、理解ったかしら?」
「…………………それは」
「……まだ認めないと言うの?」
「『妹として好き』ってのは、間違いないけどさ。正直、あいつを女の子として――なんて、そんな風に意識したことは無いんだよ。何度も言うけど、あいつは実の妹だぜ?それに、」
それに、もし――。
もし、俺の気持ちが、そうなのだとしても。
「俺には、おまえがいるだろ?」
彼女への想いを、隠さずに口に出す。
今日一日のデートで確信した事。今、彼女と話しながら、俺が思う、俺の黒猫への感情を。
こいつとなら、きっと上手くやっていけて――今日みたいに、こいつを困らせるような事も、いつかきっと無くなるだろう。
だが、黒猫は答えない。
長く沈黙を保ったまま、俯いて、口を開こうとはしなかった。
俺は不安な気持ちを抱えて黒猫の返答を待っていたが、結局、決然と顔を上げた彼女の口から俺の望む言葉が出てくる事は無かった。
「先輩、覚えているかしら」
「……何をだ」
「あの日……私とあなたの会話を、あなたの妹に聞かれた日……私の言った事を」
「ああ、覚えてるよ」
黒猫が俺に与えた『呪い』の話を、桐乃に聞かれて、桐乃が御鏡と付き合ってるなんて大嘘を吐いて、コミュニティが崩壊しそうになってしまったあの日。
黒猫は俺に、自身の決意と願いについて語ってくれた。
「あれって……もしかして、俺に告白してくれたことを言ってたのか?」
「そうね……まぁ、半分は正解よ」
「……半分……?」
「言ったでしょう?『どちらを選んでも後悔することになるかもしれない』と」
「確かに言ってたけど……それがどうしたんだ?」
現におまえは告白してくれて、俺達はこうして付き合ってるじゃないか。
恥ずかしがり屋のこいつが、勇気を出して告白するかしないか――どちらかを選んだ結果なら、もう既に出ている。
「私もね、あなたと似たような事を考えていたの」
「……俺と?」
「ええ。私とあなたが恋人になれば――いえ、私があなたに想いを伝えれば、きっとあなたの妹は反対するだろう……そう思っていたわ」
「……何だよそれ。桐乃がおまえを取られたくないって言うと思ってたの?」
それは……ありえないとは言えないよなぁ。
あいつ、黒猫の事大好きだし。
「本当に馬鹿ねあなたは」
呆れ顔の黒猫に罵倒されてしまった。
「妹さんが、あなたを取られたくないって言いだすだろうって、そう思っていたのよ」
「……はぁ……?本気で言ってんの、それ」
「本気よ」
「……そう…………かよ」
力強い断言を返されて怯む。
「――けど、それは思い違いだって。現に桐乃は賛成してくれてんじゃねーか。それにさ、あいつは俺に言いやがったんたぜ?――『あたし、ブラコンじゃないから』ってさ」
「プフっっ」
噴出し、くすくすと笑う黒猫を、むっと唇を尖らせて問い詰める。
「な、なんで笑うんだよ」
「くっ……ふふッ……御免なさい。怒ったかしら?」
「……ふん。逆に聞くけどさ。もしお前が本気で『そう』思ったんだとして、だったらなんで桐乃の奴に、俺に告白した事を教えたんだよ」
黒猫はくすくす笑いをぴたりと止め、姿勢を正してベンチに座り直す。
そして、遠い目で正面を見つめ、
「……これは、あなたに言いたくは無かったのだけれど」
再び話し始める。
「あの子にね、『ちゃんと告白しろ』――って、背中を押されたのよ、私は」
「………そう、だったのか……」
ちくりとした胸の痛みと、寂しさに驚く。
そんな俺を察してか、黒猫は俺の手首を掴み、強い口調で言う。
「誤解しないで頂戴。あなたへの言葉は私の本意よ」
「……ああ」
「ただ――あんなことになってしまったから、私が躊躇していたのも本当よ。私はあなたに言ったわ。『私にとってもっとも望ましい結果がもたらされるよう、私なりの全力を尽くす』と。でも、だからこそ……どちらか一方でも失ってしまうのは、とても怖いことなのよ」
彼女の言葉はやはり迷彩されていて、そこから真意を汲むことがとても難しかった。
それでも俺の手首を掴む力は緩められず、触れた手から黒猫の真剣な想いだけが伝わってくる。
「だから、あの子が納得してくれるというなら、――そんな事、あるわけがないのに――私が躊躇する理由は無くなってしまったわ」
桐乃が応援してくれるなら、付き合うのに何の障害もない――俺達は同じ境遇にあったのだ。
だから、あいつが応援してくれる現状が、俺と黒猫にはとても幸福な筈だ。
なのに、触れる手に込められる力が、俺を逃がすまいとするかのように強くなり、
「ねぇ…………あなたは妹と私、どっちが大事なの」
そんな事を聞いてきた。
「………急に、どうした」
「急ではないと思うのだけれど――いいから、答えて頂戴」
「俺は……」
――こんなの迷う必要の無いことだ。
世の男どもに聞いてみるがいい。妹と彼女、どっちが大事かってな。
それを他ならぬ恋人の口から聞かれる状況が既におかしいが――もっとおかしいことに、俺はその『当たり前』の答えを出すことが出来ないでいる。
それは、きっと、俺が――。
……本当にそうなのか?俺は桐乃を『そういう』目で見ているのか?
桐乃と過ごしたこの1年間が頭を駆け巡る。
――今までずっと、あいつの兄貴として、俺は桐乃のために色々な無茶をしてきた。
また妹と話せるようになったのが嬉しくて、心配で、かわいくてしょうがなくって。
そんなあいつに彼氏が出来るのが嫌で嫌で、どうしようもなく気に食わなくて――その気持ちは、家族に対する愛情とは、違うというのか。
いや……そもそも、家族愛と恋愛の違いって、何なのだろうか。
俺は妹を……桐乃の事を、どう思っているのだろうか。
ずっとあいつの事なんか嫌いだと思っていて、なのに桐乃に彼氏が出来たと聞いた時、俺はどうしようもないほどムカついてしまって――自分がシスコンなんだと気付かされた。
そして今、俺は黒猫に指摘されてしまっている。『そう』ではないのだと。
「先輩」
少女の声にはっとして、顔を上げる。
気付けば俺は、頭を抱えて俯いていた。
そんな俺に、黒猫は心配そうな顔で言う。
「苦しめてしまって、御免なさい」
「……おまえが謝る事じゃないだろ。悪いのは俺だよ」
「「………」」
そのまま二人の間に、今日幾度目かの沈黙が訪れる。
とても気まずい時間だった。
その沈黙は苦しくて――でも、どうか破られないで欲しいと願ってしまう。
黒猫も同じことを感じているのだろう。辛そうに眉根を寄せていた。
それでも、決然と俺を見つめる彼女は、
「……答えて、先輩」
残酷にも、その意思を変えてはくれない。
そしてそれ故に、俺は嘘を吐く事も出来ず。
「…………俺は、俺にとっては、2人とも大事だよ。それじゃ、駄目なのか」
そんな濁すような事しか言えない。例えそれが本当であっても、今この場で恋人に言っていい台詞ではないと知りながら。
「……駄目に決まってるじゃない………でも、その答えだけで十分よ」
黒猫は手で目じりを拭い、目を閉じてすぅはぁと大きく深呼吸をし、掴んでいた俺の手首を離して自分の膝の上に揃える。そして、
「別れましょう」
俺に、別れの言葉を告げた。
彼女の言葉に魔力でも込められていたのだろうか、ざぁっと風が吹いていく。
赤い瞳に浮かぶ涙がその風に浚われ、俺は彼女の本気を悟った。
「……それは、俺が桐乃の事を、好きかもしれないからか?」
「そうね……まぁ、半分は正解よ」
「……さっきと同じことを言うんだな」
「ええ。だって、もう半分は『同じこと』ですもの」
「……何を言ってるのかよく分からねえよ。そんな言い方じゃなくて、俺に分かるように教えてくれないか?」
「厭よ。……あなたはいつもそう。直接言葉にしなくては何も理解ってくれない」
「……それは……そうなのかもしれない。悪かったよ」
「そう思うのなら、今後はもっと努力することね。私がそうしていたように、相手の事をもっとよく見なければ駄目よ」
年下の女の子に説教されてしまう俺であったが、反論など出来るはずもない。
それに、もっと強い気持ちが、俺を支配していた。
「なあ、黒猫」
「……何かしら」
「俺は、おまえが好きだよ。……確かに、今はおまえのことを一番に見てやれていない。それは認める。だけどな、この先、付き合っていくうちに、おまえを一番大事に出来るようになるんじゃないかって、俺はそう思うんだ。それじゃあ、駄目なのか?」
俺は間違いなく黒猫の事が好きだ。
告白されてめちゃくちゃ嬉しくて、今日みたいにデートして、改めてそう思った。
こうやって話していて、彼女が本当に優しい女の子だと言う事も思い知ったさ。
だから俺は、許されるならこいつと恋人を続けていきたい。
「……そうね。確かに、そういう選択もあると思うわ」
黒猫は思案するように目を閉じ、俺の提案を肯定してくれたかように見えた。
「じゃあ……」
「でも駄目よ。それでは、私が納得できない。言ったでしょう?私にとっての最善を目指すのだと。このままあなたが自分の気持ちに向きあいもせず、逃げるように私と付き合ってくれたのだとしても――例えその先に、私を一番大事にしてくれるのだとしても――私が心から望む結末は、決して得られないわ」
「……俺が桐乃への気持ちに決着をつけられないまま付き合っても、それは本意でないと?」
「ええ、そうよ。以前の私なら、それでも良いと思っていたかもしれない。でも……今の私はそんな風には思えないわ」
「……それは、どうしてだ」
「言ったでしょう?私は思いっきりわがままになろうって、決めたのよ」
「そんな理由じゃ納得できねぇよ!俺が鈍いのはわかったけど、それでもお前がほんとのことを話してくれてないのくらい、わかるんだぜ?……なあ、どうして――」
答えずに立ち上がる黒猫。
ほんの少しだけ俺から離れ、背を向けたまま、
「ねぇ先輩。……今から独り言を言うわ。何も言わずに黙って聞いて欲しいの。返事も質問も受け付けないし、出来れば死ぬまで隠し通して欲しいのだけれど……構わないかしら?」
本心を吐露したくて、でも触れて欲しくなくて――そんな恥ずかしがり屋で誇り高い彼女の、懸命な照れ隠し。
きっとそういう事だろうと、俺はそんな風に感じたよ。
「……ああ。分かった。言ってくれ」
「ありがとう」
黒く長い髪と、白い服を翻し、彼女が振り向いた。
見惚れるほどの可憐な微笑みを湛えて、黒猫の『告白』が始まる。
「1年と少しの間に、色々な事があったわね……。正直、最初はあなたの事も、無気力そうな男だとしか思っていなかったわ」
まぁ、そうだろうさ。でも俺も、この1年で少しは変わっただろう?
約束を守り、心の中でそう問いかけた。
「でも、必死に妹の世話を焼くあなたを見て、同じ妹を持つ身として、尊敬出来たわ。私にも、あなたのような兄さんがいてくれれば……そう思ったの」
それで、急に「兄さん」なんて呼び出したわけか。正直ちょっとインモラルな気分になっていたんで、この言葉は胸に刺さった。
「あの子が行ってしまって、あなたは私に構うようになって……嬉しいのに、それを寂しいと感じてしまう自分に驚いたわ。だから――妹の代わりではなく、『私』が心配だって言ってくれて嬉しかった」
そこで黒猫の言葉が止まり、すぅはぁと深呼吸して、
「さっきも話したけれど、私には妹がいるの。手がかかって、私を頼ってくれて……時に煩わしくなる事もあるわ。それでも大切な、私の自慢の妹達よ」
「でも、家の外では、私はずっと独りでいたわ。いつか誰かに言われたように、それを自分ではなく、他人の責任にして、私は私の好きな世界に逃げ込んでいたのよ。でも、そんなある日、私はあなた達に出会った」
「予感がしたわ。初めて会った時から――いいえ、あの日あなた達に会うと決めた時から、今までにない何かを予知していて――実際、その通りだったわ」
俺達兄妹と、沙織と、そして黒猫が出会ったあの日の事を、俺はよく覚えている。
初めて出会ったその日から意気投合して、俺がオタクに対する認識を改めて――そして桐乃に、初めて趣味の会う友達が出来たあの日の事を。
きっとあの出会いは、俺達の『誰にとっても』運命的だったのだろう。
その日から、俺達4人の賑やかな日々が始まったのだから。
一気にそこまで語って、黒猫は目を閉じ――
「私は、先輩の事が好きよ。きっとあなたが、妹を大切にする気持ちに負けないくらい、あなたの事が大切よ。……だけど――同じくらい、あなたの妹の事も、大切なのよ」
俺達兄妹への想いを告げた。
……質問くらいは、受け付けてもらえばよかったかもな。
これが俺と別れる理由だって言うなら、やっぱり俺には、黒猫の伝えたい本当の意味を理解してやる事が、きっと出来ていない。
その事がとても苦しくて、なのにその事を察しているだろう彼女の笑顔は、どこか晴れやかで。
だから、俺には何も言えなくなってしまった。
そんな目の前の少女が俺の失った恋人かと思うと、その場に泣き伏したくもなる。
でも、涙を見せたくなくて、こう思うことにした。
……いつか、俺の気持ちに整理をつけて、その時、胸を張って彼女が一番大切だと言えるようになれたら――その時は、今度は俺から告白して、何としても絶対に恋人になってもらおう――。