入院〜手術〜退院 | アラフォーワーキングマザー☆おれいのブログ〜乳がん闘病記〜

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32で結婚、不妊治療を経て37で女児出産。
生後3ヶ月から保育園に預け、バタバタな毎日を送るアラフォー主婦の日常。
2016.7 2人目妊活中に乳がんステージⅢa発覚。妊活中止、闘病生活に入りました。

ええと。
現況を最初にお伝えしますと退院して約2週間以上経っております。

入院中に手術のこととかも書こうと思っていたのですが、暇つぶしに家族に借りてきてもらっていた漫画がわんさとあり、せっせと読破する入院生活でして(笑)

ちなみに入院中読んでいたのは主にこの3つ下矢印
・人は見た目が100パーセント
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・聖☆おにいさん
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・もやしもん
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どれもめっちゃ面白かった。

さて本題。
入院〜退院までを忘れないうちにざっくり記録していきたいと思います。


・手術前日、入院。
前の診察の時に部屋の希望を出してあるのですが、(私は差額ベッド代の無い大部屋が第一希望)入院前日に空き状況の連絡があり。

大部屋の空きがないので、第二希望の新館の4人部屋に。
でもね、ここ1日あたり7560円も差額ベッド代がかかるのですよ。
(それでも大部屋以外で一番安い)

2週間くらい入院の予定だから、ざっと部屋代だけで10万超えかぁ…

と気が重くなりつつも翌日の午前中入院。


母親が付き添ってくれましたが、この時点ではピンピン元気だし、何もすることないので母親は昼過ぎに退散。

夕方形成外科の受診。

胸一帯にマジックでマーキング。

その後戻ってすぐ麻酔科へ。
アレルギーの質問があったので「イチジクでかぶれたことが一度ある」と話すと、ラテックスフリーの手袋を使用してくれることに。

その後またすぐ乳腺科から呼び出し。
主治医はいなかったが、主治医の先輩格?の女医さんと、リーダーらしき教授らしき男性。
エコーで「ほとんどなくなってるねー。」と言われ、ウキウキ。
主治医以外の見解を聞けるのは、多角的に情報が入る感じがして嬉しい。

その後すぐ夕食。
21時以降は食事禁止なので、20時くらいにお菓子を掻き込む。
21時消灯。

・手術当日
6時起床(起きてないけど)
この日は絶食なので、朝食なし。
10時以降は飲み物も無し。

13時からの手術なので、12時頃呼び出し→着替え→手術室へ、ということ。

ココで問題発生。

主治医が昼前くらいに来て
「今回はセンチネルリンパ節生検ではなく、リンパ節郭清なので、リンパ節の転移数がわからない。それでも同時再建するということで良いですか?」と。

乳腺科での診察では
センチネルリンパ節生検→リンパ節転移が元々あったのでやっぱりリンパ節郭清

と言われていて、形成では
リンパ節に4個以上転移が見られた場合は再建中止(放射線治療の適応になるため)

という話になってたので、総合すると
「リンパ節郭清、リンパ節に4個以上転移があった場合再建中止」

だと思ってたんですよね。
しかし、リンパ節郭清をする場合はまるっと切り取ってしまうので、その場での検査は不可能ということで。

約1ヶ月後の病理検査の結果でわかるらしいのです。

なので同時再建は出来るけど転移があるかわからない状態で。
逆にいうと二次再建に変更できるけど、転移が無く無駄に手術回数を増やすことにもなる。(わたしはそれが嫌で、というか一回閉じてしまったらもう再建の選択はしない気がして同時再建にしたのに。)

放射線治療自体は再建後でもできなくはないみたいだけど、やっぱりうまく放射線が患部に当たりづらいこともあるみたい。

転移があるかもしれないが同時再建にするか。
転移はないかもしれないけれど二次再建(というか再建はしない)にするか。

えー
それ、今決めるの
この5分くらいの間で。


で考えた末、結局見切りで同時再建、病理の結果でリンパ節に4個以上転移があった場合はエキスパンダーを抜去後放射線治療という方向で行くことにしました。

転移があった場合、同時再建自体が無駄な手術になってしまうのですが、しかたがない。

だって二次再建という選択はわたしには無いのだから(メンドくさがりだからw)


そして前の手術が長引いていて、結局呼び出しがあったのが13:15ごろ。

もうこのころお腹空きmax。

しかし着替えて移動。

手術の様子はまた後ほど書きます。長くなりそうなので。


18:30ごろ病棟に戻る。

この時点点滴、ドレーン、尿カテ、酸素マスクとなんだかたくさん付いているし痛いしで身体が全くうごかせず。

夜中0時ごろ酸素マスク外れる。
お水を飲んでもいい、と言われたのでお水を一口。

夜中何回か血圧など測りにくるし、痛いし、暑かったり寒かったりで全然寝られず。
とにかく身体が動かせないので自分で布団を掛けたりはいだりできず、暑くて足で布団を蹴っ飛ばしたはいいが、浴衣まではだけてでも自分で戻せず(笑)


・手術翌日
あまり寝られないまま朝を迎え、やっと尿カテ外してもらう。

ベッドは電動。
身体を起こしたら、意外と手足も自由に動くことに気付く。

朝ごはんはお粥かと思ったらフツーにご飯が出て来た。
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こんなの。
そして完食。

ていうか病院食、やったら白米が多くて。
おかずが足らないから、ちょうど香典返しで頂いた梅干し持ち込みました。

その後午前中は形成と乳腺科の回診があり、「順調」とのこと。

腋窩ドレーンと、筋層下ドレーンが入っていて、その廃液量が各20ml以下、30ml以下になったら抜管して退院だそうな。

昼には点滴も外れ、かなり身軽に。

手術後2日目〜
だいたいおんなじ毎日。
7:30ごろ起床
8:00朝食
8:30ごろ乳腺科の回診
9:00〜10:00の間にシャワー
(頭と下半身のみ。)
10:30〜11:00ごろ形成の回診
12:00昼食
昼食後母が見舞いに。
その後誰かがお見舞いに来てくれることもあり。
夕方売店をウロウロ
18:00夕食
その後漫画見たりテレビ見たり
消灯前にドレーン液抜く
21:00消灯
その後は携帯見てダラダラ
22:00〜23:00就寝

食事はこんな感じ下矢印
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1週間分の献立を各2つあるメニューから選んで紙に書いて提出。

だいたい朝ははパンかご飯、昼、夜はメインが肉か魚か、ご飯か麺かって感じ。


そうそう、大部屋よりワンランク上の部屋だったからか、テレビは見放題。
これは暇つぶしになりました。

傷口はというと、術後3日目くらいにやっと直視しました。
思ったより綺麗。
そして喪失感はあまりありませんでした。
乳首もなくなってるし、エキスパンダー入ってるっていってもまだまだ平らだったんだけど、なんていうか大きい怪我をしたくらいの感情。

これは人それぞれかもだけど、再建を選択したというのと、痛いしそれどころではない、というのもあるかも。

で、術後6日で腋窩ドレーン抜去、8日目で筋層下ドレーン抜去して退院となりました。

2週間くらいかかると言われたので、かなり早いほうだったようです。

しかし退院前日に
「もう少し排液が少なくなってからかなぁ」
と形成の先生に言われていたのに、その日の夕方、看護師さん伝いに
「形成の先生、ドレーンいつでも抜いて良いそうですよー」
と言われ、その後主治医に
「じゃ、明日退院できる手続きしますか?」
と言われ、次の日の朝の回診で主治医は休みだったみたいで、代わりの先生に
「え?ドレーン抜くの?聞いてないけど、ああ、そうなの、じゃ抜くね」
みたいなノリで抜管して昼頃退院。

なんか展開についていくのが精一杯。

「週末お見舞い行くね!」って言ってくれてた友人達に「退院しちゃったー」と連絡したり家族に迎えの連絡したりバタバタ。

なんかもうちょっと退院して日常生活できるか観察してとかなのかなと思ったら、そうでもなくて、管抜けたら「はい、サヨナラー」みたいな感じで(笑)

なーんにもしない生活からいきなり子育て、家事フル満載の日常生活に戻るので、あと1日くらい心の準備が欲しかったかも。

まだまだあちこち痛かったし。

あと、術後数日で患側の二の腕が浮腫みました。
おお、これがウワサのリンパ浮腫。

そして退院後もこのリンパ浮腫に悩まされるのです。


ざーっと入院生活書きました。
思い出したら加筆するかも。