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江口 洋介(1967年12月31日~)は、日本の俳優、歌手。本名同じ。東京都豊島区出身。パパドゥ所属。妻は歌手の森高千里。一男一女の父親である。血液型はO型
えぐち ようすけ
江口 洋介

本名 江口 洋介
生年月日 1967年12月31日(49歳)
出生地 日本 東京都豊島区
身長 185 cm
血液型 O型
職業 俳優、歌手
活動期間 1986年~
配偶者 森高千里(1999年~)
主な作品
映画
『湘南爆走族』 / 『GOEMON』 / 『るろうに剣心』
ドラマ
『東京ラブストーリー』 / 『愛という名のもとに』
『ひとつ屋根の下』シリーズ / 『救命病棟24時』シリーズ
『白い巨塔』
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略歴・人物
デビュー
1987年に映画『湘南爆走族』で主人公・江口洋助役に抜擢され、一躍有名となる。江口の芸名は本名であり、また映画の原作はすでにヒットしていた漫画であることから、この役名との類似性は偶然である(ただ、同姓で読みも同じという理由でキャスティングされた可能性もある)。当初は「えぐっちゃん」の愛称で知られていた。テレビドラマの主演デビュー作は、1987年の単発ドラマ『翼をください』(NHK)である。
実質的なデビュー作品はテレビドラマ『早春物語』であり、他にも数本『湘南爆走族』以前の出演映像作品があるが、雑誌等での公式プロフィールでは『湘南爆走族』がデビュー作品扱いである。主に、フジテレビやTBS、NHKに出入りしていることが多い。
1990年代 編集 1990年代初頭は、『東京ラブストーリー』『愛という名のもとに』など、トレンディドラマの常連であった。また、当時は独特の長髪がトレードマークであリ、同じく長髪が印象的な武田鉄矢と『101回目のプロポーズ』では、兄弟役を演じている。
1993年、1997年に放送された『ひとつ屋根の下』シリーズは、最高視聴率37.8%を記録し、大ヒットとなる。現在でも、フジテレビドラマの歴代最高の視聴率である。
1999年以降は医師の役が多くなる。断続的に放送されている『救命病棟24時』シリーズではクールな進藤医師役を、また『白い巨塔』では里見医師役を演じる。これらに象徴されるように、意志のかたい善人役が多く、映画『凶気の桜』での殺し屋役は珍しい配役である。
シンガーソングライターでもあり、「恋をした夜は」「愛は愛で」などのヒット曲もあるが、1999年以降は「役者と音楽を続けてきたけれど、1つのことを極めたかった」との理由から、ほとんど歌手としての活動を行っていない[3]。
1999年6月3日に、歌手の森高千里と結婚。2000年2月に長女が、2002年5月に長男が誕生し、1男1女の父親である。
2000年代 編集 2000年以降も医療ドラマをはじめ近年は社会派ドラマ、映画などに出演し、俳優としての幅を広げている。 異色の社会派映画「闇の子供たち(2008年公開)」では、タイで児童買春のとりことなっていながら、自己否定に苛まれて事件を追う新聞記者という役柄を演じた。
2005年にフジテレビ系列で放送された新潟県中越地震後の被災地を取り上げたドキュメンタリー番組でナビゲーターとして現地を取材した。(ちなみにこの番組で取り上げたエピソードの1つがきっかけで映画「おにいちゃんのハナビ」が制作された。)
2010年代 編集 2010年1月より『日経スペシャル ガイアの夜明け』で2代目案内人を担当する(初代は役所広司)。
2016年公開の「人生の約束」では漁師という役作りのためトレードマークである長髪を切り落とし短髪で撮影に臨んだ。 [4]
エピソード 編集 森高との出会い
1995年の阪神淡路大震災救済イベントで、泉谷しげるのバンドに以前からファンだった森高千里がドラムを担当すると聞いてギターを担当し、交際が始まった。
バスフィッシング
趣味でバスフィッシングを嗜み、シマノの釣り具のCMに出演したことがある。またそのCMシリーズの中では、ジャイアント馬場や田中星児と共演したものもあった。ハウスジャワカレーのCMで、釣竿購入をたくらみ、共演している妻の森高千里にたしなめられる場面を演じてもいる。また、『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』において、毎年行われるコーナー「芸能人釣り選手権」の常連でもある。1996年放送の第2回大会から、2004年の第10回大会まで毎回参加していたが、一度も優勝の経験はなく、そのことを出演者たちにいじられることがある。それ以降は参加していない(2006年6月放映分現在)。
事故歴
1998年2月上旬にスノーボードで足を骨折して入院したため、同年4月から放送開始予定であった『ドンウォリー!』(フジテレビ)を降板。代役は近藤真彦となった。 2009年6月10日午後7時30分ごろ、東京都渋谷区富ケ谷のガソリンスタンドで1100ccの大型バイクへの給油を終えて道路へ出る際、右方向から来た自転車を避けるため急停止し転倒、肋骨や鎖骨の複雑骨折で全治2か月の重傷を負った[5]。
舞台への出演
三谷幸喜に「見栄えがする」という理由で出演打診をうけ、『12人の優しい日本人』に出演。この時に、「稽古には浴衣を着るのですか」「楽屋には暖簾(のれん)をかけるのですか」という質問をうけたと三谷は自身の新聞連載に載せている。[要出典]