大江戸釣客伝について | ゆのグ

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日記・文章の練習。人に見せる気全く無し。

図書館で借りて読んだ際に一度書いたが、文庫版購入・再読したので再び。

この作品では、大きな事件を軸とし、それに絡めて各登場人物の動きを書いていくパターンが多い。事件のない時期は飛ばされるし、事件から事件への繋がりも弱い。事件の説明も、不要に思える地名・人物名の羅列を初めとする事件の詳細部分を削らず、長い。また、漢文体で容易に意味を掴み辛い文に現代語訳があったりなかったり、実に不親切。
更に采女が主人公で朝湖は脇役だろうと踏んで読み始めたこともあって、兎に角感情移入がし辛い。実際は采女より朝湖のストーリーの方が起伏あって締まりも良く面白いから困る。

別の切り口から書こう。
獏さんが年表を見て思いつき、調べた事を、「こういう事があったんですよ、これを見て私はこう思いましたよ」と小説体で語っているかのような文章である。采女や朝湖の台詞も、キャラクターが喋っているのではなく、獏さんが演じているように…自らの代弁者としているように読める。著者が作品に滲むどころか溢れているのだ。
夢枕獏という人物を楽しむにはけっこうなことだが、作品に入り込み辛いのは小説として明らかな短所であろう。

しかし、私はそういう所が好きなのである。
ペンより竿持ちてぇ。でも書かなきゃならねぇ。なら釣りの小説を書けばいい。釣りがしてぇという本音を、登場人物に代弁させればいい。
そういう部分を隠さずぶちまける、獏さんのそういう所が好きなのだ。
下手な文章(言えた義理ではないが)も愛嬌だ。
ラスト、一番楽しかった頃の絵が巡り巡って朝湖の前に現れるシーンは泣ける。酒の染み付いた其角が「釣りがしてぇ」と呟くシーンも良い。当時のオールスターがばんばん作中に出てくるのも面白い。私が夢枕獏から目を離せないのはこういう小説を書いてくれるからだ。
もうシリーズものについては言うまい。年相応のモチーフで書く中編小説にはこれからも期待したい。