無理が通れば道理が引っ込むわけですが、その通り!となるためには、やはり道理が前に出てこないとかなわないような気がします。
理屈もそうですが、どれだけ人の心がわかっているか、こういうことの方が、数値とか目に見えることよりうんと大切なことのように思います。
だから余計に、自分の普段の考えは糸が絡まるようになっているのだなと納得する次第です。
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この人とあの人が出会うと良いなと思って、お互いを紹介すること自体は、何かがはじまるような気がして、その間を取り持つことは心躍ることになります。
それで、何かがはじまれば良いわけですが、それ以降にまで関与しようとは思っていないし、むしろほとんど興味を持っていないことに思いが至りました。
たとえば、良きパートナーを求めている男女を引き合わせたとして、その紹介をするのは楽しいことになり、いろいろアイディアも浮かんでくるというものです。
しかし、それが良き出会いとなって交際がはじまったといって、それ以上何かをすることは特にありません。
それに、デートプランを考えておいてね、代わりにデートもしてねみたいなことには決してならないので、それは関わる由はありません。
また、その後結婚することになったから、結婚式やお披露目パーティーを企画して、大いに盛り上げてくれと言われても、そこは興味があまりないわけですね。
それらは、当人同士がやりたいようにやってくれればそれで良いのではないかと思うばかりで、それ以上何も思わないものです。
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そうなると、自分の、個人の興味は紹介すること自体を次々とやっていくにあるだけで、あくまで"きっかけ"づくりは奔走するよということです。
このあたりは似ているようで少し異なるし、心躍るかどうかは取り組むに当たって随分と重要な気がします。
これが仕事やプロジェクトにおいてもそうで、必ずしも切り離せるものではないですが、好きなことと得意なこと、できることとそうでないことなど、自分の領分をわきまえておく必要はあるでしょう。
何でも受け持っているうちに、あれ?楽しくないぞ、これはどういうことだとなってしまえば、無用な心配に心とらわれることになってしまいます。
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それにしても、一旦口に出したことはやり続けないといけないな〜と思うものです。
おいおい、言っていることとやっていることが違うじゃないかーと異なれば、信用・信頼にまでつながっていく話になります。
"あえて"という意図や目論見がある場合もありますが、そういうものはまた見抜けるようにもなっていて、賢しらさがいつまでも通用するということもないものです。
これは、自分の持っている性格や性質にももとづいてくるものなので、指摘されれば図星と不快に思うかもしれませんが、何も言われないことの方がうんと後に響いてくるように思います。
できないことはやらない、できませんと正直に言うなど、そうやって無用なリスクを回避することが、かえって評価されることもあるでしょう。
どういう時にあっても、こういう本質は変わらないので、自分はそこに依拠していきたいし、それがわかる人の近くにいたいと思うものです☆