他の人のやったことを、同じようにやってみたいと、
それが生活の中のひと幕であれ、いち生涯のことであれ、
範囲や規模においての、コトの大小はあるでしょうが、
そのような思いに駆られることがあるかもしれません。
しかし、"同じように"と思ったところで、
それはほとんどかなわないことであるのは、
"まったく同じように"やろうと思わないとか、
そのように思えないということではなく、
むしろ、まさしく同じようにはできないことを、
強い衝動として駆られる一方で、
痛感してしまうのもあるのかもしれません。
X JAPANのように東京ドームでライブしたーいと思って、
自分で仲間を集めてバンドを組んでやっていくにしても、
それはもう、別のバンドとしての活動になるようなものです。
他のことにおいても同様で、それが何であれ、
そもそも、自分とは異なる人たちであるし、
年齢や性別、職業、趣味、住んでいる地域なども異なれば、
周囲にいる人や関わる人も、当然異なってきます。
それに、自分がそこに到達したとしても、
背中を追いかけている人たちは、さらに先を行くもので、
時間においての隔たりはそのままになるでしょう。
体験として似ているところはあっても、
身を置く状況や環境が同じでないわけで、
それでも、他の人のすることなすことが気になるのは、
果たして、どういう理屈から来るのでしょうか。
*
なぜにそのようなことを考えているかについては、
最近、身体運用から興味・関心が少し推移して、
今は共同体とか場所とかが気になっているためです。
そして、いつの時も内田樹さんの言説に触れ、
多く感化を受けているわけですが、
特に「ぼくの住まい論」(新潮社・2012年)を読んで、
深く思うことが多く生じたのが、
理由として、相当に大きいのがあります。
内田樹さんの年来の夢である「道場をつくる」にあたって、
機運も高まり、現実的にも動いた2011年の前後の、
「道場 兼 自宅」である凱風館を建てるいきさつが、
これにまとめられているわけですが、
単純に建物としてつくって終わりというわけでなく、
ここに至るまでもそうですし、できた後の今に至るまで、
その経緯が、非常に示唆に富む内容であって、
今のタイミングで手に取って良かったなというのがあります。
こういうのも、巡り合わせがあるものですから、
ピタッとはまる時がそれ相応にあるものです。
「道場」を持ちたいという内田樹さんの思いにはじまり、
土地、資金の調達、建築家や工務店との出会いなど、
多くの要素がある=多くの人たちとの関わりがあるわけですし、
そして、単純に個人として居住するわけではない、
多くの人に開かれた場所であることが前提であるので、
それをどう具現化していくかのダイナミックさがあります。
詳しくは、この本に目を通してもらえばわかるので、
ここでは特に子細を取り上げることはしませんが、
自分が注目したいのは、多くの人との関わりがあってこそ、
こういう"開かれた場所"ができたのだし、
逆に言えば、こういう場所を持ちたいがゆえに、
多くの人との関わりが必要だったということです。
これを建てるために、多くの人と関わってきたわけでないが、
いざ建てるとなった時に、これまでの人間関係の蓄積があって、
それが凝縮し、発揮されるようにしてできあがったというのが、
やはり興味深いなというところです。
自分なりの、日々の生活や活動があって、
方々に友人・知人が次第に増えていくわけですが、
それは、まさに"自分の生き方"の反映だなと思いました。
また、他の人たちにおいても同様で、
凱風館を建てることだけはないところで、
人それぞれに日々の生活や活動があるわけですが、
しかし、その積み重ねがあったからこそ、
凱風館を建てることに関わったというのが、
逆もまたしかりというところの理屈でしょう。
建築家の光嶋裕介さんとの出会いもそうで、
お互いの視点で語られているものを比較すると、
ここの一点で交わるようにして出会っていることがわかります。
何かに導かれるようにして道を行くうちに、
出た先がそこだったというような感じでしょうか。
*
そして、この凱風館を建てるという切り口において、
普段より、内田樹さん自身の言説であったり、
研鑽し続けている合気道の修行であったりすることの、
まさに好個の実践であるところに「言行一致」を見るようで、
その現実的な一貫性に、強い説得力があるのを感じるものです。
これもまた、日頃の積み重ねを続けているのは、
このためにあったという感覚を覚えるかもしれません。
自分自身でできることをしっかりこなしていく一方で、
何か物事が大きく進む時には、自分の知らないところで、
同時多発的に動いているという側面もあるものです。
ひとつの出会いが次の出会いを生むようにして、
人の行き来が活発になればなるほど、
ひとつのエネルギーとしても大きく渦巻くことがあります。
少し余談ではありますが、タモリさんが世に出た経緯にも、
これに似たダイナミックさを感じるものですが、
それはまた、別の機会に取り上げられたら幸いです。
あるいは、ひとつの目的に向かって、
多くの人たちが、それぞれに取り組んでいる様子もまた、
何か自分で立ち上げるような時に、
多角的に考えるべきことの手がかりが得られるし、
他の人ではどうなのかというのもうかがい知れるものです。
複数の視点・観点から見ながらも、
ひとところに収斂する様子は、見ごたえがあります。
本の中では、建てることをメインにして、
できあがってからしばらくまでが収まっており、
そこから現在に至っています。
そして、今後も凱風館をひとつの基点として、
また多くのことが生じていくことを思えば、
それもひとつのはじまりであったということになります。
*
今後、自分自身が(内田樹さんではないという意味において)、
凱風館そのものを建てることは(思わ)ないし、
神戸の方に移り住むか自体も、特にあてはありません。
また、同じようなものをつくりたいと思うかもわかりません。
ただ、いくつもの要素があっても、取り入れられるところや、
物事の本質的なところは見落とす必要がありません。
大きなことを成し遂げるにしても、
日々のひとつひとつを大切にしないことには、
どこの何にも通じていかないので、
思いを抱く、そして、しっかりと取り組んでいくことで、
すぐさまかなうわけではありませんが、
そのしかるべき時が来るように備えておきたいものです。
そして、いろいろな人たちとの交流を図り、
広く見聞していくことで、内面も磨かれるでしょうから、
それもまた、忘れないように肝に銘じておきたいです。
危機に備えるばかりではありませんが、
時には、予期しないことも多く訪れることでしょう。
たとえ、自分が初めてその境遇に立たされたとしても、
前もって見聞きしていることがあって、
それが直接の参考になるのであれば幸いですし、
そうでなくても、いくつかの考え方を応用したり、
自分なりに解釈し直したりすれば、
どうにか対応はできるように思います。
そのためにも、やはり人の話を聞き、本で読むようにして、
日頃から、自分の中に蓄えておくのが良さそうです。
それでも、数が多ければ良いわけでもないですし、
何でも知っていれば良いかといえば、
そうでないことも場合によってはあるので、
自分にとっての適切なものを取捨するというのも、
ひとつ大切な心構えと言えるかもしれません。
自分の興味・関心を満たすのみならず、
時期や時代を越えて、見聞を広め&深めていくのだから、
目に触れ、耳に聞くものに敬意を払っていきたいですし、
それらはきっと「先人の知恵」と呼ぶものなのでしょう。
今後、一度ならず何度でも取り上げていきながら、
日々の生活や活動をより充実していくようにしていきましょう☆