どれくらい妥当なのか | 重金属備忘録

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日々のいろんなことを忘れないように!片言隻句の積み重ね&大いなる独り言☆

いろいろと書きつけていくうちに、

 

果たして、自分のやっていることが、

 

どれくらい面白く思ってもらえるのか、

 

ふと気になってしまうことがあります。

 

 

少なくとも、自分で読んで自分でわかるもの、

 

その時々の心情や出来事を記録しているもので、

 

個人的には、それなりに興味深く思うものです。

 

 

そして、内容的にも工夫している場合があって、

 

他の人が読んでも、何かしら思うところのあるような、

 

自分の得た知見や体験を盛り込んでいることがあります。

 

 

そうではなくても、かなり雑多ではあるかもしれないけれど、

 

せっかくやっているのなら、ひとりひとりに届くように、

 

そういう気持ちが芽生えていることも一面としてあります。

 

 

これまでは、「大いなる独り言」でやっていただけなので、

 

一応公開にしておいて、読みたい人はどうぞご自由にという、

 

あまりそこに意識は向けないでいました。

 

 

それだけに自由奔放にやれる有利さはあって、

 

変に誰かの顔色をうかがうようなことはしていないので、

 

そこが損なわれてしまうようでは意味がないので、

 

それなりに避けておきたいところです。

 

 

それも、まー成り行きに任せるのが良いでしょうから、

 

特別力むこともなく、また思いつくままにやっていけば、

 

ひとまずは良いのかなという気持ちになっています。

 

 

やはり、そこに立ち戻るというわけですね。

 

 

それに付随してかしないでか、

 

身近なところで、どうも会話がかみ合わないとか、

 

言いたいことと伝わっていることが異なっているような、

 

自分の放つ言葉がねじれているように思うことがあります。

 

 

元来、少しばかり入り組んでいるのが私ですから、

 

それは加味しておかなければいけないところですが、

 

それにしても、いかがなものかというようなことがあります。

 

 

それでも、場所を変えて、会う人を変えてと、

 

気の置けない友人たちと会ったり、

 

ほとんど初対面のような人と話したりして、

 

会話が、何の違和感を感じることもなく、

 

極めてスムースに流れているのを自覚する時、

 

自分の言葉も、知性も損なわれていないことを知るものです。

 

 

うん、このままで大丈夫だ。

 

 

身近なのに不調とは、これはどういうことなのかと思えば、

 

別段、その場の磁場が狂っているようなわけでもないので、

 

それはある意味、自分のいるべきところではないのか、

 

最近、いくつかの本や言説に触れてみると、

 

合う/合わないは、当人の努力のようなものとは別種らしく、

 

統合していくと、どうやらそういうことのようです。

 

 

何より無理は禁物で、支障が出てからでは手遅れなので、

 

そこだけは、より注意を怠らないようにしたいものです。

 

 

そうして、いろいろと物事がはっきりしてくると、

 

次なるアイディア、新しい発想も出てくるし、

 

それらに伴うようにして、何かしら対策も打ちようがあるので、

 

今はそれで十分だなという感じで過ごしています。

 

 

あとは、言葉の持つ効力というか、威力というか、

 

そういう力に期待を込めながら、良い状況が訪れるようにと、

 

せっせ、せっせと試みていることがあります。

 

 

いくつかを知っての今だからこそわかることも多くあって、

 

良い巡り合わせのうちにいるような気もするし、

 

それが、今のタイミングなのだなとも思っています。

 

 

わかりやすく言えば、前向きな言葉を意識していくだけで、

 

身も心も、文字通り軽やかになっていくし、

 

そういう状態が、良いものをもたらすわけですね。

 

 

声に出すのも重要ですが、胸の内でつぶやくだけでも、

 

そういう効果を感じてきていますので、

 

もっと繰り返して、自分自身になじませていきたいものです☆