いろいろと書きつけていくうちに、
果たして、自分のやっていることが、
どれくらい面白く思ってもらえるのか、
ふと気になってしまうことがあります。
少なくとも、自分で読んで自分でわかるもの、
その時々の心情や出来事を記録しているもので、
個人的には、それなりに興味深く思うものです。
そして、内容的にも工夫している場合があって、
他の人が読んでも、何かしら思うところのあるような、
自分の得た知見や体験を盛り込んでいることがあります。
そうではなくても、かなり雑多ではあるかもしれないけれど、
せっかくやっているのなら、ひとりひとりに届くように、
そういう気持ちが芽生えていることも一面としてあります。
これまでは、「大いなる独り言」でやっていただけなので、
一応公開にしておいて、読みたい人はどうぞご自由にという、
あまりそこに意識は向けないでいました。
それだけに自由奔放にやれる有利さはあって、
変に誰かの顔色をうかがうようなことはしていないので、
そこが損なわれてしまうようでは意味がないので、
それなりに避けておきたいところです。
それも、まー成り行きに任せるのが良いでしょうから、
特別力むこともなく、また思いつくままにやっていけば、
ひとまずは良いのかなという気持ちになっています。
やはり、そこに立ち戻るというわけですね。
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それに付随してかしないでか、
身近なところで、どうも会話がかみ合わないとか、
言いたいことと伝わっていることが異なっているような、
自分の放つ言葉がねじれているように思うことがあります。
元来、少しばかり入り組んでいるのが私ですから、
それは加味しておかなければいけないところですが、
それにしても、いかがなものかというようなことがあります。
それでも、場所を変えて、会う人を変えてと、
気の置けない友人たちと会ったり、
ほとんど初対面のような人と話したりして、
会話が、何の違和感を感じることもなく、
極めてスムースに流れているのを自覚する時、
自分の言葉も、知性も損なわれていないことを知るものです。
うん、このままで大丈夫だ。
身近なのに不調とは、これはどういうことなのかと思えば、
別段、その場の磁場が狂っているようなわけでもないので、
それはある意味、自分のいるべきところではないのか、
最近、いくつかの本や言説に触れてみると、
合う/合わないは、当人の努力のようなものとは別種らしく、
統合していくと、どうやらそういうことのようです。
何より無理は禁物で、支障が出てからでは手遅れなので、
そこだけは、より注意を怠らないようにしたいものです。
そうして、いろいろと物事がはっきりしてくると、
次なるアイディア、新しい発想も出てくるし、
それらに伴うようにして、何かしら対策も打ちようがあるので、
今はそれで十分だなという感じで過ごしています。
*
あとは、言葉の持つ効力というか、威力というか、
そういう力に期待を込めながら、良い状況が訪れるようにと、
せっせ、せっせと試みていることがあります。
いくつかを知っての今だからこそわかることも多くあって、
良い巡り合わせのうちにいるような気もするし、
それが、今のタイミングなのだなとも思っています。
わかりやすく言えば、前向きな言葉を意識していくだけで、
身も心も、文字通り軽やかになっていくし、
そういう状態が、良いものをもたらすわけですね。
声に出すのも重要ですが、胸の内でつぶやくだけでも、
そういう効果を感じてきていますので、
もっと繰り返して、自分自身になじませていきたいものです☆