最近好きな発想のひとつに、
「問いの立て方」というものがあります。
これは、そもそもの出発点がどこかによって、
その後の考える筋道や結論の出し方に影響が出るもので、
最初が肝心であることに似ているかと思います。
道でいうところの、到着地点に近いどころでの分岐なのか、
うんと離れたところからの分岐なのかのようなもので、
到着地点に近づいていけばいくほど、
吸い込まれるようにそこに向かうしかないし、
うんと離れているような場合では、
ある意味、風の吹くまま気の向くままのように、
どこが到着地点として帰結するのか不明のところがあります。
何を目指すのかも、もちろん重要な要素ですが、
どこから出発するのかも重要なもので、
海外旅行に行こうと思って、パリのドゴール空港に着くのと、
羽田空港にいるのとでは、ずいぶん異なるようなものです。
さらには、野球をしようかどうかと考えているのと、
何かスポーツをしようと考えているのとでは、
野球の場合では、素振りをするかキャッチボールにするか、
具体的な練習メニューを考えていくことになりますが、
何のスポーツにするかどうかの場合では、
走る、投げる、組む、蹴るのようなところにはじまり、
何らかの種目を選んでいくことになってきます。
同じ、体を動かして運動をしようというカテゴリーにおいても、
このように異なってくるものですから、
これが、運動でなく、絵を描くとか将棋を打つとかでは、
かなり考えることに違いが出てくることが予想されます。
そして、こういう問いの立て方において、個人の場合では、
自分の課題と思っているところや意識するところに目を向け、
それで、どうにか取り組んでいけば良いわけですが、
誰かと、何かに取り組もうとしてすり合わせようとする時に、
お互いの出発点が大きく異なっているようでは、
当然のごとく、会話がかみ合わなくなるものです。
はじめは、慎重なくらいで足並みをそろえていきながら、
少しずつ勢いをつけていくのが順当かもしれません。
そのあたりは、実際の場面に遭遇してどうのこうのですから、
今は、前もって心配をする必要はないわけです。
個人でできる範囲のことは、順次進めていくべきで、
各種のことについて、妥当な問いを立てながら、
それぞれ策を講じていこうじゃないかという算段です。
今はまた、ダイバーダウンのごとく、静かに潜行するか、
そんな気分で毎日を過ごしているのです。
今いる地点はどこなのか、それをしっかり把握しつつ、
どこに向かっていきたいのかを今一度照会し、
それではじめていこうではないかという今日この頃です☆