こんばんは。石川恵美です。
【マイストーリー】モデル時代〜今の私に出会うまで〜
(46)前回の話はこちらから
帰国した日は、灰色の曇り空だった。
日本に完全帰国するという実感もないまま、成田空港に到着しました。
迎えに来ていた家族と共に車に乗り込み、家族との会話もそぞろに、車窓から見える東京のビル街をボーッと眺めていました。
妹が高校生の時留学していたイギリスから帰国したとき、高速から見える東京の景色を見て、
「空も街も全てが灰色で、汚い〜!イギリスのきれいな街並みに戻りたいぃ。」
そう言っていたというのを思い出しました。
東京で、モデルになるために日本帰国を選んだくせに、空いっぱいに広がる雲のように、どうもすっきりしない心持ちでいました。
もう、日本に帰ってきたんだ。とにかく今は、東京でモデルになるために頑張ろう。
向こうの友達も言っていたように、もしどうしてもアメリカに帰りたかったら、帰ればいい。どうにでもなるよ。
そう自分に言い聞かせ、日本での生活を改めて決心したのでした。
たった5年でも日本を離れると、しかも多感な時期に海外で過ごすと、半分外人になってしまっているんです。
特に、私は順応性が高いタイプでしたので、余計にそうだったのかもしれませんが、ちょいちょい、リアクションだとか、単語が英語になってしまうとか、クセが出てしまうんです。
相手は、私のこと日本人だと思って対応しているのに、いきなり英語で答えてしまい、驚かれたり、日本とアメリカの習慣の違いにカルチャーショックを受けたりすることも、しょっちゅうありました。
それでも、5年ぶりの日本は新鮮でした。
地元の友達との再会は、楽しみにしていたことのひとつでした。
留学中の夏休みに帰国した時、ほとんど家には帰らず、飲み会、合コンなど、朝まで遊び明かしていたことを思い出しました。
また、そんな楽しいことができるんだと、目先の楽しさにワクワクしていました。
友達との楽しいはずの時間。
しかし、会うたびに、心のどこかで違和感を感じるようになっていました。
楽しいけれど、窮屈。
なんでだろう?あんなに大好きな仲間たちなのに。
その引き金は、
「えみちゃんは、これからどうするの?やっぱり英語が話せるんだから、英語の先生とか、英語を使う会社に勤めるんでしょ?」
この言葉でした。
会う友達、会う友達、皆、同じことを言ってくるのでした。
留学して英語ができる、イコール、英語の仕事に就く。
こういった図式に当てはめられるのがすごく嫌でした。
「いや、特に英語の仕事をしようとは思ってない。」
そう言うと、皆、何で?!もったいないじゃん!と不思議な顔をするのです。
私は、英語の仕事に就くために、留学したんじゃない。勝手にワクにはめないで!
私は、とてもモデルを目指すなんてこと、言えませんでした。きっと言ったからといって分かってもらえない。
祖父母は、私の帰国をとても喜んでくれました。
笑顔で迎えてくれた二人は、私の好きだったやさしいおじちゃん、おばちゃんでした。
土産話も落ち着いた頃、祖母はこう言ったのでした。
「それで、これからはパパの会社を手伝うんでしょ?お金出してもらって、留学させてもらったんだから、今度はパパを楽させてあげなくちゃダメだよ。」
始まった。
「私は、会社は継がないよ。そう、パパにも伝えたし。」
「そんなの許さないよ!長女なんだから、パパの手伝いしてあげなきゃ、かわいそうでしょ!」
あー、この感じ。もう、うんざり。やっぱり変わっていない、この人たちは。日本になんか帰らなきゃよかった。早く、東京に行きたい。
私には、子供の頃から、常に、○○になりたいと夢を持っていましたが、それとは別に、父の仕事のことは意識して生きてきました。
もし、私が会社を継いだら、、、そんなことを想像することもありました。
ただ、自分が高校、カレッジとアートを学ぶにつれ、自分には絵の才能はないと気づいていったのでした。
父は、専門の学校も行っておらず、すべて独学でしたが、写真もデザインも絵も才能のある人でした。
私は学校で、絵も写真もデザインも学びましたが、凡人に毛が生えた程度のレベル。
才能がないことは、自分が一番分かっていました。
だから、父の会社は継げない、家族が卒業前にアメリカに遊びに来た時に、そう父に伝えたのでした。
父は、これまで一度も継いで欲しいと言ったことはありませんでした。しかし、本心は継いで欲しかったんだと思います。
役目は終わった。勝手にしろ。面白くない顔をしていました。
アメリカでの生活で、私の精神はガラッと変わりました。
いや、本来の自分に戻った。
留学中、何度か手紙のやり取りをしていた高校の先生に、私は、手紙の中で、こっちに来て性格が変わったようなことを書いたんです。
そうしたら、先生は、
「いや、それはきっと本来の石川さんに戻っただけなのかもしれないよ。僕は、そう感じます。」
そう、返事があったんです。
それを読んだ時、なんとなく本当の自分を出せなかった高校時代、きっとその時から先生はわかっていてくれていたんだ!
先生だけは、わかってくれていたんだ。
うれしくて胸がいっぱいになったことを覚えています。
そんな本当の自分にせっかく戻れたはずだったのに、大きく広げきれない羽に、居心地の悪さを感じるのでした。
電話が怖い。(48)へつづく
最後までお読みいただきありがとうございました。感想もお待ちしております。^^
現在、東京都文京区白山、駒込、本駒込、小石川、本郷、千駄木、巣鴨からの方はもちろん、大塚、日暮里、大手町、神保町、板橋、王子、墨田区、足立区、荒川区、北区、杉並区、中央区、川口市、市川市、船橋市、横浜などからもご来店いただいております。
顔のたるみ、シワ、目の下のたるみ、毛穴の開き、毛穴の黒ずみ、くすみ、ニキビ、ニキビ跡、クレーター、色素沈着、赤ら顔、シミ、ほうれい線、二の腕のザラザラ、毛孔性苔癬等の悩みは、グリーンピールで解消!抜け毛、薄毛、白髪のお悩みもグリーンピール育毛で解消!東京グリーンピールサロンで評判のブログ。
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帰国した日は、灰色の曇り空だった。
日本に完全帰国するという実感もないまま、成田空港に到着しました。
迎えに来ていた家族と共に車に乗り込み、家族との会話もそぞろに、車窓から見える東京のビル街をボーッと眺めていました。
妹が高校生の時留学していたイギリスから帰国したとき、高速から見える東京の景色を見て、
「空も街も全てが灰色で、汚い〜!イギリスのきれいな街並みに戻りたいぃ。」
そう言っていたというのを思い出しました。
東京で、モデルになるために日本帰国を選んだくせに、空いっぱいに広がる雲のように、どうもすっきりしない心持ちでいました。
もう、日本に帰ってきたんだ。とにかく今は、東京でモデルになるために頑張ろう。
向こうの友達も言っていたように、もしどうしてもアメリカに帰りたかったら、帰ればいい。どうにでもなるよ。
そう自分に言い聞かせ、日本での生活を改めて決心したのでした。
たった5年でも日本を離れると、しかも多感な時期に海外で過ごすと、半分外人になってしまっているんです。
特に、私は順応性が高いタイプでしたので、余計にそうだったのかもしれませんが、ちょいちょい、リアクションだとか、単語が英語になってしまうとか、クセが出てしまうんです。
相手は、私のこと日本人だと思って対応しているのに、いきなり英語で答えてしまい、驚かれたり、日本とアメリカの習慣の違いにカルチャーショックを受けたりすることも、しょっちゅうありました。
それでも、5年ぶりの日本は新鮮でした。
地元の友達との再会は、楽しみにしていたことのひとつでした。
留学中の夏休みに帰国した時、ほとんど家には帰らず、飲み会、合コンなど、朝まで遊び明かしていたことを思い出しました。
また、そんな楽しいことができるんだと、目先の楽しさにワクワクしていました。
友達との楽しいはずの時間。
しかし、会うたびに、心のどこかで違和感を感じるようになっていました。
楽しいけれど、窮屈。
なんでだろう?あんなに大好きな仲間たちなのに。
その引き金は、
「えみちゃんは、これからどうするの?やっぱり英語が話せるんだから、英語の先生とか、英語を使う会社に勤めるんでしょ?」
この言葉でした。
会う友達、会う友達、皆、同じことを言ってくるのでした。
留学して英語ができる、イコール、英語の仕事に就く。
こういった図式に当てはめられるのがすごく嫌でした。
「いや、特に英語の仕事をしようとは思ってない。」
そう言うと、皆、何で?!もったいないじゃん!と不思議な顔をするのです。
私は、英語の仕事に就くために、留学したんじゃない。勝手にワクにはめないで!
私は、とてもモデルを目指すなんてこと、言えませんでした。きっと言ったからといって分かってもらえない。
祖父母は、私の帰国をとても喜んでくれました。
笑顔で迎えてくれた二人は、私の好きだったやさしいおじちゃん、おばちゃんでした。
土産話も落ち着いた頃、祖母はこう言ったのでした。
「それで、これからはパパの会社を手伝うんでしょ?お金出してもらって、留学させてもらったんだから、今度はパパを楽させてあげなくちゃダメだよ。」
始まった。
「私は、会社は継がないよ。そう、パパにも伝えたし。」
「そんなの許さないよ!長女なんだから、パパの手伝いしてあげなきゃ、かわいそうでしょ!」
あー、この感じ。もう、うんざり。やっぱり変わっていない、この人たちは。日本になんか帰らなきゃよかった。早く、東京に行きたい。
私には、子供の頃から、常に、○○になりたいと夢を持っていましたが、それとは別に、父の仕事のことは意識して生きてきました。
もし、私が会社を継いだら、、、そんなことを想像することもありました。
ただ、自分が高校、カレッジとアートを学ぶにつれ、自分には絵の才能はないと気づいていったのでした。
父は、専門の学校も行っておらず、すべて独学でしたが、写真もデザインも絵も才能のある人でした。
私は学校で、絵も写真もデザインも学びましたが、凡人に毛が生えた程度のレベル。
才能がないことは、自分が一番分かっていました。
だから、父の会社は継げない、家族が卒業前にアメリカに遊びに来た時に、そう父に伝えたのでした。
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うれしくて胸がいっぱいになったことを覚えています。
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