
先日練習に初参加しましたが、なかでも指揮セミナーは大変興味ぶかいものでした。
久保田音楽監督が受講生に投げかける言葉を聞くにつけ、「指揮者とは全ての音にこのように配慮し、自分のイマジネーションをすべて奏者にさらけだす、なんと過酷な職業なのだろう」としみじみと感じ入りました

ひるがえってプレーヤー側の自分。

オケでは「指揮を見ろ」というのは基本中の基本としてたたきこまれる事です。
では指揮のいったい何を「見て」いるのだろうか

そんなことを改めて振り返らされました

まあ、場合によっては指揮を見ている余裕が無かったりとか、イケメン指揮者の顔ばっかり見てたり

指揮セミナーでいろいろなパターンのジュピターを演奏してみたとき、指揮者が全く何も言わなくても、指揮に対して皆が感じる音楽が「共通言語」として成り立ってしまっているところが素直にすごいなと思いました。それも一つの指揮テクニックなのかもしれませんし、オケ側に自発的なアンサンブル能力があるという前提のもとで成り立つものなのかもしれませんが。
テンポ感や拍感などは、最低限、大前提なもので、そのうえで指揮者の表現したいことを汲み取って演奏で体現する。
どんなに指揮者が素晴らしい投げかけをしたとしても、奏者側が指揮者の発するイマジネーションを受け取って表現できなければ指揮者は一方通行のまま

いみじくも久保田音楽監督がおっしゃっていたように「指揮とは共に導くもの」であるならば、指揮者と奏者が双方向に呼応しあったときそこには素晴らしい音楽が産まれるのでしょうし、オーケストラーダでそのような演奏ができるであろうことを楽しみにしています。


