【イヨボヤ会館】と村上市を語るうえで、
切っても切り離せないのが青砥武平治という人物。
古くから鮭漁の運上金は村上藩にとって大切な財源の一つでしたが、
江戸時代中頃になると三面川の鮭はほとんど取れなくなってしまいました。
そこで武平治は、鮭が生まれた川に帰って来るという習性に目をつけ、
鮭の産卵に適した場所を作り、自然孵化を助けて繁殖を図る事を考えました。
村上市を流れる三面川の本流を3つに分け、自然環境と同じ条件に作った2分流を
種川として鮭の産卵場所としたのです。
この種川には番人を置き、川漁を一切禁じました。
これこそが、1794年に世界で初めて鮭の自然孵化増殖システムを確立させた
「種川の制」
です。
この制度により川に帰って来る鮭が多くなり、鮭漁の運上金が飛躍的に多くなります。
また村上藩が鮭漁に課した運上金制度を基に、その徴収システムや町行政組織を
代行させた鮭漁の入札システムを確立させています。
館内には、様々な鮭漁に関する資料もたくさん展示されています。
明治時代になると、村上藩が持っていた漁業権は国のものとなります。
明治9年にはアメリカから日本に初めてマスの人工孵化方法が導入されると、
明治11年には孵化場を建設、人工孵化にも成功し、全国の河川に鮭の稚魚を
放流するようになります。
明治15年には「村上鮭産育養所」を設立し、鮭漁以外にも
治水、殖産、慈善、教育などにも貢献するようになりました。
左に展示されているのが。漁で使用されていた舟。
長さ7メートル、幅85センチもある大きな船です。
その鮭の恵みで私立学校が設立されたり、育英教育が設けられ、
これらで学び、世に出た人達の事を「鮭の子」と呼んでいるんだとか。
このように、村上市では古くから鮭を核とした文化が形成されて来た
歴史があります。
様々な鮭に関する資料はもちろん、
瀬波海岸で発見されたミンククジラ類の遠い祖先とされている
建物の2階には、遊びながら鮭についてを学べる
「こどもサケ科学館」や、村上の鮭文化を紹介した
コーナーなどがあります。
こちらは撮影スポットみたいだけれど、どのように撮影をしたら
この2階に向かう階段をよく見てみると、
とにかく、鮭に関する資料が豊富な施設ですので、
展示物を一つ一つをじっくり見て行くとなかなか時間がかかります。
余談ですが、私の親戚のおじさんは世界で初めて鮭の中骨だけの
缶詰を開発をしたというお方。
漁協開発室室長や水産高校の先生も務めた事があって、
「宮古の鮭博士」としてマスコミなどにも度々取り上げられている
有名人です。
60年以上にわたり収集した鮭に関する資料の多くは震災で
流されてしまったようだけれど・・・。
遠方という事もありまだ一度もお会いした事はないのだけれど、
一度は会って色々なお話を聞いてみたいなとも思っています。














