そうそう、そういえば、去年の年末。
たしか12月31日はイスラムの祝日イドゥル・アドハでした。
イドゥル・アドハとはなんぞや![]()
それは日本で言う「犠牲祭」です。
イスラム教徒の重要なお祈りの日でもあり、
一年に一度日々食料として普通に食べてきた羊や牛などを
犠牲祭のこの日に生贄としてささげ、祈る日なのです。
このひジョグジャカルタ王宮ではそのおまつりのためそして年越しを祝っても兼ねているのかなぁ。
なにかイベントが行われていました。
ジョグジャの王宮のこういった催しはなんだか衣装から歴史やジョグジャらしさがかんじられます。
ジョグジャ特有のこの民族衣装素敵ですよねぇ。
この催し、王宮から王様ご一行が行進をしていってさいごに、
この写真の担がれているお菓子の取り合いっこをするんですよ。
高い位置に掲げれていて、うおぃぃーっと運動会の棒倒しのように取り合い。
お米でできたおせんべいのようなお菓子でカラフルです。
それを取れて食べれたら、幸せになれるらしいです。
そんな争奪戦の後、
子供達が、
「おねーちゃん、これ買わない?」っと
幸せを売りにきた子たち 笑
争奪戦のウィナーが多めに取ったそれを安値でうってました 笑。
そんなかんじで昨年の年末イドゥル・アドハはあったのでした。
そうそう話は戻って犠牲祭。
しまーるはこの催しに夢中で見ませんでしたが、
街中ではそのころ、羊や牛達が悲鳴をあげながら犠牲になっていったのでした。
生贄は羊などの小さいものを先に、そして牛のような大物をトリにもっていきます。
終盤に生贄にされる牛はなんだか生きることをあきらめるといったら変な言い方ですが、
終盤に至るまでの過程を見て、聞いてしまったから、全てを悟ってしまったかのように、
ひとがさぁいざ犠牲にと準備をしても、もう騒がないんだそうです。
牛もわかるんですよね。
日々頂いている「お肉」って、
ほんとうに尊い命の犠牲の上に成り立っているんですよね。
魚やお肉、わたしたち人間の生活って犠牲なくしてありえない。
当たり前だけどすごく忘れがちなこと、
人前で羊の首をカーッときって殺して羊を肉にするなんて野蛮で、残酷なことをして、
なんて思う方もいるかも知れませんが、
インドネシアの友人いわく、一年に一度こういうことを見て、命や生活していくことの
大切さをしるんだといっていました。
そして日々の生活があることに感謝をすんだ とも。
だからインドネシアでは、命を無駄にしないとおもいます。
尊い命、そこにいたるまでに、痛みや悲しみたとえ例え動物でもあることを知っているから。
ナイフを当てたら痛くて、血が出ることをしっているから。
血がたくさんでたら死んでしまうこともしっているから。
だからインドネシアでは日本のように、
自殺や軽はずみな殺傷少ないとしまーるは思います。
日々の犠牲の上にある生活に感謝。
ですね。







です。
