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しまーる日記  

インドネシアがすきで、たびがすきで、ねこがすきなしまーるのjalan-jalan日記です。

でも最近jalan-jalanはなかなかできないので日々のことを綴っていきます。

さぁさぁー

ことしも残すところ12時間切りましたよー



しまーるは昨年ジョグジャカルタでイチバン賑やかなマリオボロ通りで年越しをしました。


やっぱりインドネシアいても日本のように年越しをしたいもの。

カウントダウンだってしたいもの時計


11時すぎまで友人たちと飲んでいたしまーるは11時半すぎ、店をあとにしました。


そして大通りにでたとき、


おそろいたーえっ



みちが人で.........ぎゅうぎゅう。



み、

身動きができないっあせる



新年


ひとでぎゅうぎゅうの大通り。


ここにはありませんが、紙で作ったらっぱがそこいらじゅうにうられていて、それをばおーんばおーんと鳴らしながらあるく人々。

新年


そしていつ0時をまわったのかわかないままいつのまにか


新年3


みえるでしょうか、すこーーーーしうすーーーく花火打ち上げ花火




しょぼーーいはなびもあがりながらいつの間にか2007年になっていた昨年の出来事。


大通りの時計はずっと5:15分をさしたままというやる気のなさ 笑




ゆるーい感じ



これこそインドネシアですね。



では数時間後に

selamat tahun baruべーっだ!(あけましておめでとう)

今年も残すところ今日のみ!!

早かったなぁ。

今年はどんな1年でしたかはてなマーク

しまーるはいい意味でしまーる自身変わった1年でした。

テリマカシー2007年べーっだ!


2006年5月27日

中部ジャワ ジョグジャカルタ市沖合でマグニチュード6.2の地震が発生し、3000人を超える方々が犠牲になったり怪我をしたりしました。


しまーるは留学前だったのでこのニュースを日本で見たのですが、このときのことすごくよく覚えています。

大きな地震で、しかもインドネシアの古都ジョグジャカルタが大きな地震に見舞われた大事態でした。始めは日本のメディアも取り上げて情報はは一応入ってきましたが、数日立つと、もうジョグジャカルタに関する情報が見つけにくくなったこと。

他のアジアの国々で地震や災害があったときもそうだけど、「その時」以降の情報って得にくいですよね日本って。

数ある毎日のニュースで毎日取り上げることなんて不可能だろうけど、「その後」を取り上げて、日本の人に今の状況を伝えて、わたしたちになにができるか。なにをかんがえるべきか。遠い国の遠い話ではなくて、もっと身近に感じる状況をメディアは作れないのかなどしまーるは思っていました。




そんなジョグジャカルタに念願かなって行ったわけですが、

その前にジャカルタ滞在時に知り合いの新聞記者に地震後3ヶ月のときの取材の様子を聞かせて、見せていただいたんです。正直3ヶ月で、「こんなもんなの~」とショックを受けました。

だって、なにも出来てない.......感じがしたんです。


しまーるは日本でまだ何もそういった災害を経験していませんが、日本などのニュースなどから見ていて、

3ヶ月もたつと、まだまだだけど、政府やらなにやらから助けがきて、すこしは生活しやすくなっているのではないだろうかと。

けどインドネシアは違いました。

しまーるがみた写真は壊れた家のスキマをビニールで埋めて生活する人。

テントで生活する人。

なんだかこんなもんなのかぁとほんとうに思ってしまいました。

インドネシア政府ってどうなってるんだろうって。

世界の援助ってどんなもんだろうって。


そして7ヶ月経った時、ジョグジャカルタの被災地、バンタルという地域に行ってきました。

オジェックのおじさんの後ろにのって、少しだけど見てきました。


3ヶ月のとき感じたあの感じ。

まだなくなりはしなかったけど、ジョグジャの街は強いと感じました。



被災地って決してエキシビジョンじゃない。

それはわかっている。

けどしまーるは大好きなインドネシアが陥った事態に。

インドネシアの一学生であるしまーるはインドネシアのためにこれから何が出来るのかを考えるチャンスとして、知っておきたいと思ったのです。



7ヶ月
まだまだ建物は壊れたままのものも多数あったしし、テントで生活している人もいたけど、

地震5
警察署も壊れたままだったけど、

地震4
新しく強い街をつくっていました

地震3
世界の機関や国からの援助も沢山あって、
地震2

ジョグジャは確実に前にすすんでいるなっと感じました。


しまーるが今出来ることはなんだろうとおもって、けどやっぱりそれはまず知ることだとおもいました。

そして日本でいろんなひとにそれをつたえること。

それがいましまーるのできること。


そして、いつかというか近い将来しまーる自身もしまーるの話をきいた人がこういった災害に役に立っていければと思いました。





その日の夕方。

友達とバイクで走っていたら、こんな場所を案内してくれました。

地震



「Gempa berlaku, Mari ayo jualan lagi」

友達は

「あたしはjualanじゃなくって、jalanってはじめ間違えてよんじゃった。なんか元気でた」って。


正確には

「地震はさったんだ、さぁ売りはじめよう(何か品物)」ですが、

jalan にかえると。


「地震は去ったんださぁ 再びあるきだそう」って意味になります。





ジョグジャカルタ、強い街だ。

がんばれー

年末~

今日は家にいるのでかくぞー



ジョグジャカルタにて、しまーるがひょっとしたらボロブドゥールをみたときもびっくりしたことがありましたえっ


それは、


人がブタになる現象をみてしまったのですブタ

もしかしたらみてはイケナイものをみてしまったのかも......ガーン



それは「クダ ルンピン」という中部ジャワに強くのこる儀式。

しまーるは先にかいた王宮での儀式で仲良しになった女子高生の子に誘われて、

ある小さな村の「お楽しみ」的に行われていた儀式を見に行ったのです。


そのこが

「週に2.3回やってるよー」

「あたしは暇なときよくみにくるんだー」

といっていたので紙芝居とかそういうのかなぁと期待に胸を膨らませバイクの後ろにまたがり、ブォーンDASH!と向かいました。


そこは小さな村の広場。

しまーるが言ったときは既に終盤に向かっていたようでした。


正面の小さなテントにはガムラン(インドネシアの伝統楽器)をひいている人たち。

真ん中はなにやら格闘技らしきものをやっている人たち。

オーディエンスは子供や地元の人たち。

しまーるのような観光客及び外国人は一切ナシ。


ほんとに地域の楽しみのための催しのようでした。


そこでしまーるがみてしまったものは。


ブ、ブタになった人ぶーぶー!!


わかりにくい写真で申し訳ありませんがまずはこれ


この人が、


クダルンピン1

こんななっっちゃって、

クダルンピン2


まさにブタの泥あび。



写真だと勢いがうまく伝えることができなくって残念ですが、本当に泥水にぶぉぉぉーっとつっこんで、

ブタとしての士気を高めているのです。

こんなかんじで、


クダルンピン

そしてこの人の相手が、このピンクの人


クダルンピン


なにやら両者絵が書かれた板見たいのをもっていますが、カレは馬になってしまったのです。


ガムランの音楽がなり続けている間、彼らはトランス状態。

つまり神が憑依した霊的な状態になってしまているのです。


つまりナニカが、来て、入ってしまった。


よくバリ島では観光用ケチャダンスとかで火を踏んでみせるパフォーマンスがありますよね。


それとは比べ物にならないくらい怖いんです汗



ちなみにこのブタと馬になった人たちは大暴れ。

一応囲いの中で行われているのですが、

囲いをぶっこわす勢いあせる


囲いにぶつかってきてそのたんびに子供達としまーるは逃げるを繰り返していました。


何かが入った状態で、

ガラスをバリバリ食べたり、していました。 怖っ汗



そして最後は



クダルンピン


失神。





しまーる衝撃でした。



インドネシアではよくこういう儀式はあるときいていたけれども、

目の前にすると泣きたいくらい怖い、しかし目が話せません。


ちなみにちなみに、

囲いを破って暴れだした彼らに抱きつかれたとき、

彼らに入っているナニカがその抱きつかれた人に移り、そのひとにこんどはナニカが移ってしまうそうです。


だからみんな必死に逃げてました。

笑いながらだけど。


インドネシアって不思議。