今年も残すところ今日のみ
早かったなぁ。
今年はどんな1年でしたか
しまーるはいい意味でしまーる自身変わった1年でした。
テリマカシー2007年
2006年5月27日
中部ジャワ ジョグジャカルタ市沖合でマグニチュード6.2の地震が発生し、3000人を超える方々が犠牲になったり怪我をしたりしました。
しまーるは留学前だったのでこのニュースを日本で見たのですが、このときのことすごくよく覚えています。
大きな地震で、しかもインドネシアの古都ジョグジャカルタが大きな地震に見舞われた大事態でした。始めは日本のメディアも取り上げて情報はは一応入ってきましたが、数日立つと、もうジョグジャカルタに関する情報が見つけにくくなったこと。
他のアジアの国々で地震や災害があったときもそうだけど、「その時」以降の情報って得にくいですよね日本って。
数ある毎日のニュースで毎日取り上げることなんて不可能だろうけど、「その後」を取り上げて、日本の人に今の状況を伝えて、わたしたちになにができるか。なにをかんがえるべきか。遠い国の遠い話ではなくて、もっと身近に感じる状況をメディアは作れないのかなどしまーるは思っていました。
そんなジョグジャカルタに念願かなって行ったわけですが、
その前にジャカルタ滞在時に知り合いの新聞記者に地震後3ヶ月のときの取材の様子を聞かせて、見せていただいたんです。正直3ヶ月で、「こんなもんなの~」とショックを受けました。
だって、なにも出来てない.......感じがしたんです。
しまーるは日本でまだ何もそういった災害を経験していませんが、日本などのニュースなどから見ていて、
3ヶ月もたつと、まだまだだけど、政府やらなにやらから助けがきて、すこしは生活しやすくなっているのではないだろうかと。
けどインドネシアは違いました。
しまーるがみた写真は壊れた家のスキマをビニールで埋めて生活する人。
テントで生活する人。
なんだかこんなもんなのかぁとほんとうに思ってしまいました。
インドネシア政府ってどうなってるんだろうって。
世界の援助ってどんなもんだろうって。
そして7ヶ月経った時、ジョグジャカルタの被災地、バンタルという地域に行ってきました。
オジェックのおじさんの後ろにのって、少しだけど見てきました。
3ヶ月のとき感じたあの感じ。
まだなくなりはしなかったけど、ジョグジャの街は強いと感じました。
被災地って決してエキシビジョンじゃない。
それはわかっている。
けどしまーるは大好きなインドネシアが陥った事態に。
インドネシアの一学生であるしまーるはインドネシアのためにこれから何が出来るのかを考えるチャンスとして、知っておきたいと思ったのです。
7ヶ月
まだまだ建物は壊れたままのものも多数あったしし、テントで生活している人もいたけど、
警察署も壊れたままだったけど、
新しく強い街をつくっていました
世界の機関や国からの援助も沢山あって、
ジョグジャは確実に前にすすんでいるなっと感じました。
しまーるが今出来ることはなんだろうとおもって、けどやっぱりそれはまず知ることだとおもいました。
そして日本でいろんなひとにそれをつたえること。
それがいましまーるのできること。
そして、いつかというか近い将来しまーる自身もしまーるの話をきいた人がこういった災害に役に立っていければと思いました。
その日の夕方。
友達とバイクで走っていたら、こんな場所を案内してくれました。
「Gempa berlaku, Mari ayo jualan lagi」
友達は
「あたしはjualanじゃなくって、jalanってはじめ間違えてよんじゃった。なんか元気でた」って。
正確には
「地震はさったんだ、さぁ売りはじめよう(何か品物)」ですが、
jalan にかえると。
「地震は去ったんださぁ 再びあるきだそう」って意味になります。
ジョグジャカルタ、強い街だ。
がんばれー