「された嫌だったことではなく、
してもらって嬉しかったことをしよう」
http://ameblo.jp/orangetheray/entry-10630902620.html
なんていいながら、私も先生やっていたとき、
「私は、先生にこんな風に扱われたから
ぜったい生徒はこんな風には扱わない」
って思っていたことがありました(^_^;)
具体的に言うと、
「目立つ子だけ構うことはしない」ってね。
でも、
「された嫌だったことではなく、
してもらって嬉しかったことをしよう」
このことを思い出してからは、
「普通の子こそ、たっぷりと手をかけてあげよう」
って思うようになりました。
私は、中学生までは手のかからない子で(^_^;)
勉強も一通りできて、
まじめで、
愛嬌があるわけではないが、
いいこ。
だったんです。
先生は、クラスの手のかかる子に手いっぱいでした。
私は平気でした。
平気だと思っていました。
むしろ、
「●●くんのところ行ってあげなよ先生。
ありゃ~大変そうだよ。」
私、一人でなんでもできるし。
なんて思っていました。
ところが、そんな私に転機が。
5年生の時に、
蔵根先生という初任の先生にあたりました。
初任の先生で、
授業も、子ども対応も、疲労具合も、
いっぱいいっぱいなのは小学生の私にも
よーくわかりました。笑
ありゃ優しすぎるよ。笑
でも、
蔵根先生は、初めて私を見てくれた気がしました。
先生にかまってもらえなくても、
平気だと思っていたけれど、
心の中では、
勉強頑張っているのに、
先生にかまってもらえるのは、
勉強しない子 ぷんぷん。
って心理があったんでしょうね。
蔵根先生には、
他の先生には、絶対にしないような、
わがままだったり、
しうちだったり(-_-)
をしたのです。
私は、
「好きな人に意地悪してしまう」タイプだったんですね。
今気づいた。女の子だったのに。
今でもごめんなさいm--m
って思っています。
でも、
今でも
私が学校の先生の中で
一番好きなのは、
蔵根先生です。
好きな先生が一人しかいない時点で、
一番なんですが(^_^;)
そして、年月がすぎ、
先生になるかどうか、迷っていた時、
絶対あーはならないぞって
反面教師がたくさんいたのはいいのですが、
それでは、
あの教育界に入っていく勇気がでない。。。。
そんなとき、
自分が小学生のころを思い出してみたら、
蔵根先生のことがでてきて、
「普通の子こそ、たっぷりと手をかけてあげよう」
と先生になる一つの、
動機になったのでした。
この蔵根先生にしてもらって嬉しかったことを
思い出せた時、
とても心がおちついたものでした。
自分の中に、受け取った「愛」からの
行動が起こせて、
私の中に「愛」があふれたからでしょう。
かえって、
教員時代
最後まで私を苦しめたのは、
「絶対こうはならないぞ」って
反面教師にしていた、思いでした。
このことには、
本当に最近(ここ2・3か月ぐらい)気づいたんですけどね(^_^;)
また機会があったら、
書きます。
今日はながくなったので、
ここまで。
【つまり、 何がいいたいかというと】
「してもらって嬉しかったことをしよう」
すると、
心にも、行動にも「愛」が生まれる。
ということです。
一日一回ぽちっとしていただけますか?
OR
ありがとぅぅぅ これだからまたまたがんばれます^-^