今日、お客様に
「いい名前ですね。」
って言ってもらえた。
あ、ワタシの名前
「田中博子」
といいます。
タナカヒロコ
漢字でもカタカナでも、なんか四角くて硬い印象で
正直、自分の名前を心から好きだと思ったことはなかった。
(お父さん、お母さん、せっかくつけてくれたのにごめんなさい)
昨年のスクールやワークショップで
「自分の名前をどういう声で、響きで言ってほしいか」
その感じで名前を発声する
ということがあった。
しっくりこなかった。
ワタシは「タナカヒロコ」なんだ。
それは合っていると思っていたのだけど、
それはなんだか、字の四角い、硬い感じが自分の頑固さというか、やはり硬い感じを表しているような気がしていたから。
だから合っているとは思っているけれど、好きではない…
今日も、「いい名前ですね。」
と言ってもらったのに、つい言ってしまった。
「ありがとうございます。でも、なんか四角くて、硬い感じですよね…」
なんて…
(お客様にそんなこと言うなんてどうかしてるわ
でも、これが気づきにきっかけに…)
最近はそれでもヒロコの「博」という字は好きになっていたのに。。。
そしたら、
「字もいいけど、音っていうか、流れというか、が柔らかくて。」
と言ってくださった。
「」
ワタシはまたもや見た目にごだわっていたのだ!
そう思って、自分の名前を声にして発音してみると、
おや?
硬さがない?
「たなかひろこ」
…なんだか柔らかさを感じた。
そういえば最近、メールや手紙などの最後、自分の名前を書く時は「たなかひろこ」、平仮名で書いていた。平仮名だと、なかなか線に丸みもあるではないか
なんだか無償に嬉しくなってきた。
初めて自分の名前を自分のものとして心から受け入れられた気持ち。
目で見たことに、どれだけ囚われて生きていることか…
そしてこんなにも囚われていることに気づかないことか…
スクールでもワークショップでも、あれだけ気づくきっかけをくれていたのに!!
この前の空の景色でも感じたではないか!
雲の上から見てみること。
(数日前の「空見て思った」にて)
でも、こうして気づかせてくれるために、人は人と関わっているのかな。
ネガティブに思っている、思う、感じるってことは
「他の視点があるよ~」
っていう合図?
視界を開くきっかけ?
全てにおいて、「いい」「悪い」はない。
そう判断、ジャッジするのは自分のフィルター、エゴ。
でも、エゴの全くない悟りの境地には…ね
なら、そのエゴ、自分の感情の方向を「気づき」の「きっかけ」と捉えたら、雲を超えたところの視点に向かうチャンスともなる…のか。
うん。
なんか、ジューシーなフルーツに皮ごとかじりついたような、身体に沁みこんでいくような感覚。
とても大切なことに気づかせてくださった、N様。
ありがとうございました
そして、この名前をつけてくれた両親に感謝
2018年1月より、小田急線向ヶ丘遊園駅にて移転営業をしております。