オーストラリア・シドニーのビーチで昨日、銃乱射事件がありました。昨日速報をみた時点では9人だった犠牲者が今朝のニュースでは16人に増えていて、暗澹たる想いに駆られています。街の中心部からも近く、大きな弧を描くように白浜が広がるボンダイビーチは数あるビーチの中でもその美しさで有名です。90年代は日本人もいっぱいいました。私もすぐ近くに住んでいたことがあって、夏には何度も泳ぎにいったり、ビーチ沿いのレストランやカフェに食事にいったりしていたあまりにも馴染み深い場所です。
今回の事件は宗教が絡んでいたようです。私はオーストラリアは移民の多い国にしては比較的、多様性が成功している国だと感じていました。私が暮らしていた90年代・・成功を求めての移民で出来上がったアメリカと違って、もともとイギリスから島流しにされた人たちの集まりから始まったオーストラリアは、「反権力」、「平等」への意識が強くて、「フラットな国」という印象が強い国でした。
社会的に立派な人も全然偉そうにしてないし、職場でも上司をファーストネームで呼ぶような国でした。街中でポルシェやフェラーリのような高級車に乗っていると、絶対に他の車は道を譲ってくれないけれど、中古のぼろい車はすぐに割り込みさせてくれるという面白いところもありました。
当時、下町に住んでいた私にはアラブ系のご近所さんが多く、お付き合いする中で彼らが西洋的価値観やユダヤ系社会を毛嫌いしているのは感じていました。また逆も然りでした。高学歴者が集う当時の職場ではエリートの白人たちが時たまみせる有色人種への差別感情みたいなのもあったことはありました。異なる人種、宗教を含む文化間の対立ってかなり根強いという印象があります。
でも当時はそれを目にしてもそれほど深刻に受け止める気にはなりませんてました。あの頃はまだ昔ながらの平等意識が残ってて、個々人間のくすぶる不満をやんわりとカバーして、表面的な安泰が保たれていたのかなあと思うのです。
そういうのがここ20~30年くらいで変容してきて、平等よりも格差社会の感が強まってきたように感じていました。昨年、在豪30年になる日本人の友達と再会して話したときも現地在住の日本人の間でさえ、経済的なゆとりを持つ同国人に対する妬み嫉み、みたいなのが生まれている?そんな印象を受けたんです。教育や経済状況、宗教や人種が大きく違う人たちの間の溝はもう互いの理解もできないくらい大きいのではないかと思いました。
互いへの理解や共感が途絶えたとき、こういう敵対感情って強まるように思います。だからといって暴力で人の命を奪うという行為は許されることではなく、突然大切な人を奪われた遺族の人たちの想いを想像すると胸が痛みます。クリスマスまであと10日というこの時期に突然のテロ行為、現地の人たちの不安と悲しみを思ってしまいます。自分も長く暮らしていてよく知る場所での事件だっただけにいろんな思いがこみ上げてきたこのニュースでした。


