旅二日目。福山城のことを途中まで書いていたのですが、お城のあれこれより、こっちの分量が多くなってしまって、今日はこの企画展の感想を書くことにしました。

 

福山藩って幕末にペリーが来た時、日米和親条約を締結した老中、阿部正弘を出している藩だったのですね。徳川家とは縁の深い福山藩、幕末の箱館戦争にいってます。その時の資料をいろいろみてきました。

 

箱館戦争は戊辰戦争(新政府軍VS幕府)最後の戦いです。勢い増す薩長ら新政府軍にどんどん北まで追い詰められましたが、その中で果敢に戦った幕府側の人たちに榎本武明や土方歳三、阿部正恒らがいました。

 

この時、幕府軍をフランスが、新政府軍をイギリスが支援(武器提供など)していたことは史実として知っていましたが、幕府軍の軍編成表みたいなのをみて、え!って立ち止まってしまいました。撮影できなかったのが残念ですが、軍が第一から四くらいまであり、それら各軍の「司令官」が全員フランス人なんです。その下に日本人の指揮官がいるのだけど、トップが全部フランス人。

 

あの内戦って、少し視野をぎゅっと外側に広げてみてみたら、後世のベトナム戦争とか朝鮮戦争、いまならウクライナみたいな、大国間(この時は英仏)の傀儡戦争だったんだ!って改めて思いました。

 

部族間を対立させて戦わせ、双方が疲弊した時に美味しい部分を搔っ攫って植民地にしてしまう、、これ、ヨーロッパ諸国がアフリカの植民地化の時にやっていたスキームです。同じことが日本でも起ころうとしていた。あの時、欧米列強の狡猾な意図に気づいたのが徳川慶喜であり、勝海舟、西郷隆盛らだったのでした。欧米が入り込んで国内をぐちゃぐちゃにする前にさっさと体制を変えてしまったんです。

 

江戸城の無血開城は箱館戦争の半年くらい前。逆に榎本らは欧米列強の本当の意図(日本を分断して植民地化する計画)を見抜くことができず、自分たちを支援してくれると甘く考えてたのではないか。あの時、本質を見抜ける優秀な人物らが薩長、幕府の両方のトップにいたおかげで日本は植民地化されずに済んだということですね。

 

太平洋戦争の時、日本にはこういう人たちがいなかった。教科書的秀才な人物はいっぱいいたけれど、最終的にはそういう人たちは自己欺瞞と保身に走ってしまった。敗戦から現在に至るまで日本は表向きは植民地にはなってないけれど、米国に従属するような国になってしまった。この企画展の意図は阿部正恒や土方歳三らの果敢な戦いぶりにフォーカスしていたのかもしれないですが、私はあの編成表をみて、脱線してしまい、その後はずっとそんなことを考えてしまいました。

 

いやあ、アメリカよりヨーロッパって本当に老獪。中東の紛争の原因も元凶はヨーロッパ。明治維新後もそのヨーロッパの国々とわたりあっていた明治時代の政治家ら、ほんとにえらかったと思いました。お城のことはまた明日に。