移民の街、シドニーで暮らしていた頃の思い出です。日本も今後直面する移民政策。良いことばかりではないとは思います。今回は「良かった思い出」に焦点をあてて書いてみます。
*きっかけ
90年代、現地で働いていた頃、私は住居をあえて日本でいう「下町」に探しました。理由は「家賃が安かった」、それから「とても気楽だった」からです。勤めていた会社はシドニーの一等地の高層ビルにありました。オフィスの中は白人系のエリートばかり。この環境は私自身のキャリア形成には理想的な場所だったのですが、常に肩ひじを張っている緊張感があって、終業後はほっと気を抜けるところに暮らしたいと感じるようになったためです。
私が暮らしていた下町は街の中心から電車で20分ほどの郊外。物価が安いことで自然、住民の多くの部分を移民が占めていました。オーストラリアという国が白豪主義から多民族国家に舵を切ってから20年くらい経っていましたが、私自身は差別を受けた経験は殆どなく、いろんな国のひとたちが、それなりに調和して暮らしているような印象がありました。日本人駐在員の人たちが暮らすエリアや高級住宅街に比べると治安は確かによくはなかったですが、そこは当時の私自身の若さの勢いというか、運も良かったのでしょう、あまり気にしてませんでしたし、脅威を感じるような日常でもありませんでした。
*多種多様な人たち
ざっと思い出してみるとアパートを世話してくれた不動産屋さんは社長さんがギリシャ人、担当の人はセルビア人でした。駅近くの八百屋さんご夫婦はエジプト人、美味しいマンゴーを売る果物やさんはイラク人、夕食を作るのが面倒でよくご飯を食べにいっていたレストランの経営者はイタリア人でした。一人暮らしする前の数年一緒にシェア生活をしていた女性はスペイン/フィリピンのハーフ、通っていた美容院はマレーシア人、ご近所の子供がよくうちに遊びにきていましたがそこはイラク人ファミリー、アパートの両隣、下階はオージー(オーストラリア人)でした。
*親切な人たち
そこで出会う人たちの殆どがとても親切でした。初めてあの街の不動産を見に行った日、駅に着いて不動産屋さんのオフィスがわからず右往左往していたら大学生の女の子が「どうしたの?」とって声をかけてくれ、不動産屋さんまで歩いて連れていってくれました。全く初対面の知らない女性でした。住み始めたばかりの頃、仕事から戻って駅に降りたら雨が降っていました。止むまで待っていようとしていたら、高齢の女性と隣り合って、「同じ方向に行くから入っていきなさいよ」と傘に入れてくれたことがありました。この方も見ず知らずの方でした。シドニー自体が都会ながらこういう親切が普通にある街だったのですが、住んでいた下町はそれに輪をかけて優しい人が多かったんです。
いつも買い物していた八百屋さんのエジプト人ご夫婦は私が買う野菜やナッツ類を覚えていてくれて、私の帰りが遅いと売り切れてしまわないようにとっておいてくれたりしました。これも雨の日、傘を持っていない私に気づいた商店街のおじさんが、家の中から自分たちの傘を持ってきてくれて、「この傘を使って。明日の朝、ドアの下から返してくれたらいいからね」って貸してくれたこともありました。この時のおじさんとも互いの顔くらいしか知らなかったけれど、毎朝店の前を通るので覚えていてくれたんです。アパートの下の階にはおばあちゃんが一人暮らしをされていましたが、時々、お茶に呼んでくれたりしました。ご近所の人が「一人だと寂しいでしょ。ご飯を食べにおいでよ」って呼んでくれることもよくありました。
自分もあの国では「マイノリティ」の立場であったからかもしれませんが、あの時の私は移民の人たちが多いコミュニティをとても温かく居心地の良いものに感じていました。シビアな職場での仕事を終えて帰ってきて駅の構内に出た時に感じた空気がふにゃっと緩む感覚、誰か顔見知りがその辺にいて「あ~、おかえり~!」みたいな感じで挨拶してくれる。いまもとても懐かしいです。
*緩さと豊かさ、受け入れる側の課題
職場のエリートの人たちにとっては移民の人たちはあまり関心を向ける対象でもない印象がありました。また下町の移民の人たちにとっても白人エリートたちは別世界の人間という印象をもっているように見えました。対立するというより自然に棲み分けしているというか。移民が増えることでの憂慮すべき面というのも実際たくさん耳にしましたが、移民が増えることで国の母数が増えて経済成長に繋がっているという感覚はあったように思います。身近に感じたのはいろんな国の人がいること、そうした人たちと共生しなければいけないという条件ゆえか、誰もが互いに寛容でした。うまくいえないけれど「ゆるい」感じがあって、それが自分には居心地よく快適でした。日本人同士のようにチェックがやたらと厳しくないのです。また多文化共生がもたらすメリットの一つで食生活がとても豊かであったようにも思います。
日本もこれから直面する移民問題。今度は受け入れる側になるわけですが、どんなふうに感じるのでしょう。
写真はネットからお借りしました。住んでいた下町・・なんですが緑は多いし、空間も広いし、こうやって海が入り組んでいるところをみるととってもいい環境ですね。(;^ω^) 私のIDのgreenというのも当時の住所に「green」というワードが使われていたことからなんですよ。