関西地方も梅雨入りし、朝からずっと雨が降り続いています。

こんな日に限って朝からタイミーで、それも20kmも離れた遠方の仕事を入れてしまってて、久々の雨の中の運転でした。でも今日はこれで外出しなくて良いので楽です。

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先日、京都国立博物館に行った帰りに近くにある豊国神社と方広寺を見てきました。方広寺はいまは小さいお寺になっていますが、かつては現在の三十三間堂、智積院、博物館などがあるエリアもその寺域だったのだそう。そして秀吉の時代、ここには奈良の大仏を凌ぐ大仏があったそうです。京都に大仏ってあまり知られてないですよね。博物館横にある交番は「大仏前交番」。大仏はもうないけれど、地名には残っていて興味深いです。

 

 

交番から豊国神社に向かうまでの道沿いに巨大な石垣。ほんと大きすぎる「巨石」ばかり。とってもわかりやすい太閤さん。(笑)

 

 

 

 

豊国神社は、秀吉の子、秀頼が造営し、明治維新時に政府によって再興され、大仏殿跡地に造営されました。

 

 

手水舎も太閤さんらしい瓢箪。

 

ここにも国宝建築がありました。豊国神社の唐門は秀吉が築いた伏見城の遺構で「国宝の桃山三唐門」のひとつとされています。(あとの二つは西本願寺、大徳寺)

 

 

 

 

 

ものすごく絢爛豪華だっただろう伏見城。その門だけで見ていても想像できます。左右6m、高さ10m半。

 

 

 

唐門に施されている彫刻もとても豪華。鶴は左甚五郎作なんだそう。

 

 

 

 

唐門を見た後は隣の方広寺へ。ここにある梵鐘の巨大さにびっくり。ほんと大きいんです。多分、日本中でこれまで目にした鐘の中でも最大。サイズを調べてみたら、高さ4.2m、直径2.8m、厚みは約30cmとのこと。重量83t。こんな大きいのをどうやって釣り上げたの?て思ってしまいました。

 

 

 

反対側に人が立っているので大きさの比較ができるかしら。この人も鐘を見上げてました。

 

 

さて方広寺といえば「方広寺鐘銘事件」。「国家安康・君臣豊楽」と鐘に書いてあったことで家康が秀頼に因縁をつけ、これが大坂冬の陣のきっかけとなりました。豊臣家滅亡の発端となってしまった悲劇の鐘。昔、読んだ小説ではこれも家康が事前にお坊さんに手をまわして、そういうふうに書かせてたというけれど・・。

 

下の写真で白線で囲まれているのがその文字。

 

 

ここからは肉眼では見え辛くて写真に撮って拡大して確認できました。

 

 

今でも残っているところがすごいですね。