ネタがなくなったのでボツになるはずだった写真を見直してみました。今回載せるのは4月、桜が咲き始めた頃に水火天満宮から一条戻り橋、京都御苑へ桜を見に行きましたが、その時の道のりを。
上の写真は地下鉄鞍馬口駅の出口からの風景で、鞍馬口通り(東西)と烏丸通り(南北)が交差しているところです。大学生の頃に下宿していたのはこの近くでした。左側の建物は昔は小さなショッピングセンターがあったような気がします。夜はとっても静かで物音ひとつしない静かなエリアでした。20歳前後の頃はもっと雑然として、お店がたくさんある地域に住みたいと考えていたので静かすぎてつまらない・・と当時は思っていました。
鞍馬口通りを西に向かって歩きます。こじゃれた八百屋さんが。昔は小さいスーパーがありましたよ。
ちょっと進んで鞍馬口通りと室町通りが交差するあたり。小松帯刀の住居跡。
小松帯刀は幕末薩摩藩の家老だった人です。ここ、歴史的な場所でもあるのです。坂本龍馬が仲介した薩長同盟はここで結ばれたそうです。ここは私が通っていた大学(同志社)の近くです。同志社大学の敷地には江戸時代まで薩摩藩屋敷がありました。家老屋敷があった鞍馬口通り×室町通りもその敷地の一部だったのでしょうか。
鞍馬口通りを西に歩いて堀川通りにきたところで南に曲がります。反対側に行くと紫式部と小野篁のお墓があるのですが今回は省略。
堀川通沿いに表千家、裏千家、武者小路千家の三つの流派の本部があります。周囲には茶道具類のお店もあります。
これは何だろう。
中をのぞくとお寺の境内のようです。
室町幕府4代将軍足利義持の正室、日野栄子が夫の遺言により皇室の菩提を弔うために創建したとのこと。源氏物語には「薄雲御所」という場所が登場するそうです(知らなかった!)そのゆかりの地でもあるとのこと。
京都はちょっと歩くとこんなふうに歴史が重層的に積み重なってて、すごいなと思います。同時に京都を案内するガイドさんは他の土地以上に求められるもの多そう。
改めて・・寺が多い。
一条戻り橋のところまで来ました。早咲きの河津桜を見るためです。一条戻り橋といえばあの世とこの世の境目、そして安部晴明。晴明神社はここから目と鼻の先です。今回は花を見るために歩いていたので省略。
近代建築の中に昔の建物が残ってる独特の光景。それにしてもこの辺、マンションが多いですね!
堀川通り沿いに公園、散歩道が整備されています。ここも交通量の多い堀川通りの真横とは思えない雰囲気。
今度は東西の道、一条通りを東へ曲がります。ほどなく見えてきたこの看板。今回の一番?の発見。応仁の乱の勃発地だったと。そして秀吉の子飼いだった加藤清正の邸宅があったのもこことのこと。秀吉の聚楽第もこの近くでしたね。
応仁の乱は1400年代、加藤清正の生きた戦国時代は1500年代後半です。そして案内によると江戸時代には黒田家の屋敷になっていたとのこと。ここにも地層のように歴史が積み重なっている様子がみてとれてとても感慨深いです。令和の現在は普通の民家が建っています。お家の方らしき人が庭の花に水やりされてて、あまりじろじろ見るのも悪くて看板の写真だけ撮ってきました。
あるマンションの一階。周囲に溶け込む和な雰囲気。
ここ、お味噌やさんですね。いつも通り過ぎるだけですが一度買い物してみたいです。
和菓子のとらや本店の近くまできました。茶寮に入ってお茶休憩しようかと思ったのですがこの日は定休日でした。
京都御苑へ到着。この後は近衛邸跡の糸桜を見に行ったのでした。花を見ながら、写真を撮りながらの1~2時間程度の散策でした。京都市内は観光客急増で避けてしまいがちですがこの辺まで来ると、有名観光地以外は比較的静かな京都の街並みを楽しめるような気がしました。