GWの読書記録です。陰鬱な話が苦手な人はここで辞めたほうが良いかも。爽やかな行楽日和が続くここ数日の外の天気とは相いれない話です。随分前、私自身が乗っていた通勤列車の一本前で人身事故があり、列車の中に閉じ込められたまま運行が止まったことがありました。再び列車が動き出し、勤め先最寄りの駅で降りたとき、事故はその駅で起こったことを知りました。既に事故後の対応は済んでいたようでしたが、各所にブルーシートが張り巡らされ、普段とは違う異様な雰囲気です。「事故を目撃した人はいませんか」という駅員さんの声が何度も聞こえてきます。あの時、降りたホームの足元に靴が取り残されているのに気づきました。踵を踏み潰してぺらぺらになった、合皮の色もところどころ色が落ちているようなボロボロの靴。その横に骨の折れた透明のビニール傘。ああ、その人はここで靴を脱いで飛び込んだんだ、と気づきました。
この小説の最後の場面は駅のホームです。ホームレスになった主人公の男性がこれからその人と同じことをするのだろう・・と思わせる瞬間で終わるんです。母親からさえ「あんたはつくづく運がない」と言われてしまうほど、運に見放されたような人生。でも決してこの人はいい加減に無責任に生きてきたわけではない。それどころか世間の平均よりもずっと真面目で責任感があって、福島から東京に出稼ぎにきて、一生懸命働いて、収入の大半を家族に仕送りして生きてきたのです。福島の田舎で生まれ育った生真面目で善良な性格な彼は要領の良さと対極にあるような、本当に生きるのが下手な人。そして真面目に生きているのにその人生が全くといっていいくらい報われない。
主人公は天皇(現上皇陛下)と同じ日に生まれ、息子は皇太子(現天皇)と同じ日に生まれています。彼は小さい頃に昭和天皇の行啓を見にいきました。「天皇陛下万歳」と声をあげる相馬の人たちとの一体感がこの人の心の原風景になってます。日本の象徴である天皇家の人たちを光と仰ぎ見ながら生きています。天皇家と福島生まれの出稼ぎ労働者。人生のそれぞれのフェーズの対比が、日本の光と闇の強烈なコントラストであるかのようにを感じさせます。戦後の目を見張る経済復興、皇太子の成婚、東京オリンピック開催、etc.。その裏にある東北地方の貧しさ、出稼ぎ労働者の苦難。主人公の人生はまさにその影の部分を体現しているような感じです。華やかな表の日本に世界は注目していたけれど、故郷と切り離された彼らの苦難に世の中はどれだけ心を寄せていたのでしょう。そこに追い打ちをかけるかのように起こった2011年3月11日の震災。
「自分は悪いことはしていない。ただの一度だって他人様に後ろ指を差されるようなことはしていない。ただ慣れることができなかっただけだ。どんな仕事にだって慣れることができたが、人生にだけは慣れることができなかった。人生の苦しみにも、悲しみにも、喜びにも。」という主人公の心の裡。全然違う環境にいる私だけれど、「人生に慣れることができない」という一文が自分にも響くのです。響くということはどこか自分にもこうした部分があるのだろうなと思いつつ。
この小説はアメリカで全米図書鑑賞を受賞したそうです。アメリカ人に共感され、受け入れられた部分はどこなのだろう、とも考えながら読みました。生まれ育ったコミュニティから切り離され苦労して生きている移民一世ややはり地方から都会に出ていって働いているアメリカ人というのが多いのかしらとか。社会のスピードが日に日に速くなり、他者との関わりがそれに反比例するように薄くなり、孤独感を強めている人が多いのだろうか、そしてこの心の現象は日本だけに限らずいまの世界全体にいえることなのかなとも思いました。
この物語がおそらくこれから自分で自分の人生を無理やり終わらせてしまう、という瞬間で終わるのがとっても切ないです。私が靴を見つけてしまったあの人(おそらく男性)はどんな人生を送ってきたのか。やはり絶望しかなかったのだろうか、誰か寄り添ってくれる人はいなかったのだろうか、そんなこともふと思いました。何が自分にとって大切なものか、改めて考える一冊でした。