毎回の旅のタイトルなのですが、「播磨」のほうが正式の名称らしく、播州→播磨に変更しました。

 

 

旅2日目。たつの市内の散策をしました。旧脇坂屋敷を出て次に向かったのは龍野神社。脇坂家の始祖、安治を祭神にしています。脇坂安治はもともと近江の人で豊臣家に仕え、賤ヶ岳の七本槍のひとりに数えられました。私は歴史小説で読んだ程度の知識しかないのですが、関ケ原の時に徳川方に寝返った「裏切者」の印象が強くて、あまり良いふうに思ってませんでした。

 

でもここのお家、外様大名ながら龍野藩で幕末まで続いているんですね。たった一日でしたがたつの市を歩いてみて、脇坂氏については今でも住民から慕われているお殿様という印象に変わりました。江戸期を通して津藩を治めた藤堂高虎も司馬さんの歴史小説ではけちょんけちょんに書かれていたけれど、同じく幕末まで続き、実際三重県民からは今でももとっても慕われています。

 

忠義を尽くすという価値観は平和な江戸時代以降のもので、情勢が猫の目のようにころころ変わる戦国時代では機を見るに敏で策略もできる人物だったからこそ、激動の時代を生き延びることができたのでしょう。脇坂のお殿様は龍野藩では領民を大事にする立派な藩主だったのではないかな。なんとなくそんな印象。

 

 

 

この石段をのぼった先に龍野神社があり、その奥に野見宿祢神社があります。野見宿祢神社のことは先に伺った旧脇坂屋敷の方から教えてもらいました。こちらはもう神話の世界の人ていう感じです。彼が出雲に帰る途中、この地で病に倒れて亡くなったことでこの地に神社があるそうです。

 

 

野見宿祢神社には過去、錚々たる力士らが参拝に訪れています。初めて知りました。

 

 

 

この辺、木々が鬱蒼としていて人も少なかったので龍野神社だけ参拝して戻りました。石段を再び降りて向かったのは聚遠亭。

 

 

聚遠亭とは茶室、楽庵、御涼所の三軒を合わせた総称?のよう。整備のための工事関係の人が何人かおられました。萌え出たばかりの新緑がとってもきれい。この近くに「紅葉谷」という名称の場所もありましたが、秋になるとさぞや美しい景色が広がっているのでしょう~。

 

 

 

 

ここにも枝垂れ桜が残っていました。

 

茶室は外から眺めるのみでした。小さな街ながらこんな立派な建築や公園があるのも素晴らしいことだと思いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最後にここからたつのの市内を眺望。

 

この後は再び坂を下りて街並みを歩きます。次に見つけたカフェで休憩しました。続きます。