フジテレビ騒動の問題の本質がどこにあるのか知りたくて読みました。20年ほど前に出版された作品で、フジテレビの成り立ち、メディアの帝王・鹿内家三代の企業独占から日枝久によるクーデターにいたるまでの内幕を描いた作品です。登場人物も全て実名で出てきます。

 

フジテレビは戦後の財界の肝いりで作られた会社です。そこへ北海道出身の鹿内信隆という人が入り込んできて時のトップを追い出し、私物化してしまった。彼の息子だった二代目が急死したことで娘婿が三代目に迎え入れられます。娘婿は「清濁併せ呑む」タイプではなく、元エリート銀行マンということも災いしたのか人の情や機微を理解する人物ではありませんでした。そこの隙を突かれた感じで(最近辞任した)日枝久がクーデターを起こし三代目を追い出してしまいます。そしてこの人は最近までの約40年間、トップに居座り続けました。結局、かの日枝という人も鹿内親子と同じことをしていたのです。オーナー企業ではない会社でトップが40年も変わらない会社ってそれだけでおかしいです。健全な新陳代謝が起こらず、変なものが滞留し、あるべき企業の姿ではありません。その長い間にたまった歪みが表面化した(噴出した?)というのが昨年の一連の騒動なのかと思いました。

 

読んでいる途中で印象に残ったのは社内クーデターが起こった時の人々の反応でした。あれほど栄華を誇った鹿内家が砂上の楼閣のようにはらはらと崩れ去っていく様子は衝撃的でもありました。普段どれだけ忠誠を誓う態度を示していても、殆どの人物は自分の保身を第一に動き、鹿内(宏明)に背を向け、日枝にすり寄ってくのです。あの節操のなさには驚いたけど、これはどこの世界でもそんなものかも。もうひとつは箱根彫刻の森に絡む場面。芸術という「至高」を目指すものがビジネスでは権力欲、金銭欲を覆い隠す蓑みたいなかたちで使われているように感じられたことです。新聞社やテレビ局の社長という肩書では海外で全く相手にされなかったのに「美術館長」の肩書になった途端、特にヨーロッパの上流層からウエルカムで迎え入れられるような対応になったと信隆が美術雑誌のインタビューで語っている場面があります。確かにヨーロッパではいくら金儲けの才能があっても教養がないと軽んじられます。昭和天皇は信隆のそういう野望を見抜いてたぽい記述があって、やっぱりすごい人物であられたのかと改めて思いました。

 

あとメインの話ではないですが鹿内家初代の信隆が実業界に入ってきた頃の有力者たちの顔ぶれって太平洋戦争の時に軍部の要職についていた人たちが多かったのですね。本来なら訴追されるような人物なのに逮捕されることを擦り抜けて戦後に実業界の重鎮みたいになっている。戦後、GHQに東条英機ら数多くの人物が戦犯として裁かれA級戦犯の人たち7人が絞首刑になっているけれど、この人たちが一番の悪人というわけでもなかったのではという印象。彼らは逆に追及の手から逃れるために、うまく立ち回れなかった or立ち回らなかった人たちだったのかもと思いました。

 

それにしてもすごい取材量が背後にあっただろうと思う作品でした。こんな大作を読むのは山崎豊子さん以来でした。