悪天候の昨日は家で本を読んで過ごしました。少し前に買ったこの一冊。京都市内を縦横に走る「通り」を歩きながら著者・彬子女王が感じられたことをわかりやすく親しみやすい内容で書かれていました。
京都人の「いけず」がテーマになった本もあるけれど、ここに書かれているのは伝統を大事にし、周囲の人への思いやりがある優しい京都の人の姿です。とても博学でありながら温かみを感じさせる彬子さまの文章は読んでいてほっこりしました。
私自身もかつては学生時代に4年間暮らし、大人になってからは何度も何度も訪れた街ながら知らないこともたくさんありました。印象に残って付箋を貼った箇所をメモとして下に書いておきます。今後はこの本を参考に京都のそれぞれの通りをゆっくり散策してみたいという思いを強くしました。
*花は太陽に向かって咲くのに桜は下に向かって咲く。桜守りの方から「桜は木の下に入って見るのが一番美しい」と教わったことがある。(円山公園のくだりで)
*伝統と革新は表裏一体。京都という街は保守的なように見えて常に新しいものに向き合い、それを取り入れることに貪欲に挑戦してきた。守るだけでは何も残らない。それが京都に今も伝統が生き続ける理由であり、またパン屋さんが多い理由でもあるのだろう。
*四条通りが八坂神社の参道だと認識している方はあまり多くない~やはり四条通りから見る八坂神社の楼門の威風堂々たる姿は格別である。(これ知らなかった!)
*下立売通りの由来。近世以前からこの通りには店舗を構えず、道端などに店を広げて立って商いをする「立売」が多く「立売の辻」と言われていたことからこの名がついたようだ。
*平野神社を好きな理由は昔ながらの桜が見られることにある。現在私たちが街中で一般的に目にする桜はソメイヨシノが殆どである。華麗な桜であるが挿し木や接ぎ木でしか子孫を残すことのできない江戸時代末期から明治時代初期に開発されたクローン植物である。桜守りの佐藤藤右エ門さんに「ソメイヨシノには年輪がない。みなが幹やと思うとるところは枝が太くなっとるだけや」と聞かされた時には仰天したけれど、ああ、それがクローンだということかと妙に納得したことを覚えている。クローンゆえに病気にも弱く、寿命も60年ほどといわれている。美しさの影にある儚さを知り、満開に咲き誇るソメイヨシノを見ているとふと切なくなる時があるのだ。
*二条通りはかつては江戸幕府公認の薬種街であり ~~ 「薬」という字は草かんむりに楽と書く。楽とは「治療する」という意味だと言われている。「草で治療する」から薬。原始時代から人間は天然の植物を薬用に使い、それが和薬や漢方薬というかたちで現代に残っている。