阪神淡路大震災からもうそんなに年月が経過したのですね。

震災の日、私は日本にいませんでした。

キャリアを積むべく海外で目の前の仕事を一生懸命追いかける毎日の最中でした。

当時はSNSどころかインターネットもまだ巷に行き渡る直前で、日本の情報はすぐに入ってきませんでした。

 

その日のお昼ごろか午後に現地に住む日本人の友人から職場に電話がありました。神戸で大きな地震があったみたいだ、高速道路の柱が倒れているって!すごいことになっているって日本から国際電話があったよ、親戚とかいないの?大丈夫?と。

 

詳細を知ったのは翌朝。現地のテレビニュースや新聞でもトップで報じられていて信じられない光景を目にしました。あの美しかった神戸の街が?三宮の駅前がボロボロに?ほんとにこれ神戸?と言葉が見つかりませんでした。倒壊家屋の下敷きになって亡くなった人がたくさんいるらしことも伝えられていました。死者数が時間を追うごとにどんどん増えていきました。

 

職場に行ったら周りの人たちが心配してくれていました。神戸にいる友達は大丈夫かな、あの辺に住んでなかったかな、とか時折考えましたが何もできることはありません。いつものように仕事に取り掛かりました。毎日職場でチェックしているロイターやブルームバーグ(主に投資家向けの情報端末です)のニュースでも震災のことが伝えられていました。そこに書いてあったのは「ビル倒壊〇〇棟、家屋倒壊〇〇軒、道路などインフラの損害がこれだけ、死者〇〇人・・」と数字が羅列されていました。続いて「それらが地域経済に与える影響がこれだけ云々〜」、「日本の経済、金融市場に与える影響はそれほどたいしたことない」、みたいな感じでまとめられていました。毎日働いているうちに感じてはいたけれど、資本主義の世の中に生きていると失われた人の命まで数字に換算されてしまうことに寒々としたものを感じたのを今でも時々思い出します。