昨日はとても良い秋晴れのお天気だったので、堅田を散策してきました。いつもキムチを買いに行く地域です。昔の街道みたいなのや街並みが残っていて過ごしやすい時期になったらゆっくり歩いてみようと思っていました。

 

 

大津市内、琵琶湖西岸の一帯はかつて「湖族・湖賊」、「堅田衆」と呼ばれた人たちが住む地域でした。海なら海賊、湖なので湖賊ということなのでしょうか。犯罪集団とかではなくて、この地域を支配し、水先案内、運送、漁業などに携わる人たちでした。中世の頃までは北陸から陸揚げした物資を京都、大坂へ運ぶ琵琶湖の水運は輸送の大動脈ともいえるルートであり、ここを押さえることは彼らにとって大きな利益と結びついていたのでしょう。

 

堅田には無料の観光駐車場があり、結構な台数を停めることができます。今回はより琵琶湖に近い資料館前の別の駐車場に車を停めて歩きました。浮御堂の近くにあります。

 

湖のほうに向かって歩きました。家と家の間から見える琵琶湖は私の好きなビューです。

( ´艸`) 

高島市や湖北の古い街並みを歩いているとよくこんな光景に出会いました。懐かしいなあ。

 

 

 

和菓子屋さん、呉服屋さん・・、看板はあるけれど今はもう営業はされていない建物が多くありました。今回目指したのはここ。↓

 

 

 

 

 

平安・鎌倉時代からの堅田衆の有力者、居初(いそめ)氏の庭園。数日前に知りました。事前にちゃんと調べておけばよかったのですが、行ってみたら事前予約制でしか見学できないとのことで入れませんでした。😢 ここ、常時一般公開されているのではなくて今も普通に子孫の方が暮らしておられるお宅のようでした。

 

ということで、それなら周囲の景観だけでも見て帰ろうと通り側から抜け、琵琶湖側に出ました。建物は琵琶湖に面しています。お城ではないのにこの豪壮な石垣。往時の繁栄がなんとなく偲ばれます。

 

 

 

 

こんなのも石材に。

 

 

 

天気が良かったので外側を見れただけでも結構感激しました。琵琶湖の眺めも素敵。

 

 

 

せっかくだったので今度は久しぶりに浮御堂に行ってみようとUターンして、そちら方面に向かいました。

 

舟が今も置いてあります。かつてはここから漕ぎ出してどこかに向かったのか。

 

 

 

ちょっと湖北ぽい風景。

 

 

 

これは堅田港。いまも船が行き来しているみたいです。

 

 

琵琶湖に至る水路沿いを歩いていたら

 

 

 

三島由紀夫の文学碑がありました。「絹と明察」という小説で堅田のこの場所を描写したくだり。この小説、本棚にあるのですが未読新品のままです。堅田のことが書いてあったのですね。💦 三島がここを歩いた時からどれくらい風景は変わっているのでしょう。大がかりな開発はされていないようなので、当時の面影がまだ残っていそうですね。

 

この辺、立派な民家が続きます。

 

 

 

 

 

 

家と家の間にあった小さな建物。ここはかつてお風呂屋さんだったのでしょうか。奥に細長い煙突が見えました。もっとゆっくり歩いて写真も撮りたかったけれど、この日は一緒に歩いた主人が、どんどん先を歩いていくので、撮影自体はあまり思うようにできませんでした。この後は琵琶湖八景の一つ、「浮御堂」へ。続きます。