毎年8月になると15日の終戦の日にかけて戦争関連の番組がテレビでも放送されます。数日前でしたがNHKの深夜にたまたま観たこの番組の再放送。
しばらく前に買って読みかけていて、そのまま放置してありました(なので完読していません)。太平洋戦争中に軍令部、海軍省に在籍した高級軍人らを中心に戦後開かれた反省会の録音テープをもとに製作された番組でした。「特攻」が取り上げられていました。
人間を兵器として敵に体当たりする特攻作戦。実は中央では組織的に計画され、かなり以前から特攻兵器が作り続けられてきたという。いけないことと認識しながら、兵士が「100%死ぬ」という戦術を実行してしまったという、人命軽視の感覚がとても衝撃的で、また怒りを感じました。この決定に参加した人たちの証言によると、軍部にはそれに反対する人も当然いたそうです。でも彼らは会議の場で反対を表明できなかったというのです。もう、「そういう空気」が出来上がっていて、それに圧せられてしまったと。
結果的に5千人の若者が特攻作戦で命を落としました。5千人が死んで、それぞれの家族、友人、恋人、彼らの死を嘆き悲しんだ人たちはその何倍、何十倍もいたことを思うととっても胸が痛みました。
番組には「やましき沈黙」という副題がついていました。これはいけないことだとわかっていたのに、なぜ止められなかったのか?って責めてしまう後世の感覚もわかります。が。これっていまの時代でも存在する「同調圧力」・・。最近ならコロナ禍のときの外出自粛とかワクチン接種とか。いま振り返ると凄かったという感想になってしまうけれど、渦中ではマスコミの煽りに圧されて職場やコミュニティの中で「打たないと立場がない・・」みたいな感覚があったと思うんです。その空気感は昔と一緒なのではないかと思いました。
ここでいわれる「空気」。これって何なの?という話を家族としていて、外国にも多少はあるけど、日本ほどではないよね、日本人コミュニティの同調圧力はひときわ強いよね・・と。じゃあ根源はどこにあるんだろう、って考えていて。もしかして、江戸時代かなあっていう話になって。農村では五人組という連座制がつくられ、強烈な監視社会でもありました。他人と違うことをしてはいけない、っていう空気が何代にもわたって続いたらそれはもう日本人遺伝子にも刷り込まれそう。260年も戦争のない平和が続いた江戸時代は世界史的にも稀有な時代でしたが、逆に同調圧力というストレスフルなものを作ってしまったかなり罪な時代だったのかも、って思いました。
暑くて外に出られないので今日も家の中です。なんとなくふと思ったことを書いてみました。