宮崎県の地震以降、テレビをつけると端っこに「南海トラフ」の文字がいつも見えて、落ち着きません。

 

自宅での非常時の備えは最低限しかしていなかったのでここ数日で足りないもの(ウェットシートやペーパータオル類、非常用のコンロ、インスタント食など)を買いました。ミネラルウォーターは以前は結構備蓄してあったのですが引っ越しの前にいったん全部消費してしまっていたので殆どなくなっていました。再度購入しようとスーパーにいったらもう殆ど売ってません。💦 そして少し前から不足といわれていたお米もあまりないようです。

 

狭いマンションだけれど一応各部屋に懐中電灯をおいて、気休め程度の小さい充電器を充電して、車のガソリンを満タンにして・・と、いまこのあたり。

 

クローバークローバークローバークローバークローバー

 

昨日はネットで地震発生から各地域への津波到達時間をチェックしました。私の実家は三重県で両親や親戚・友人の多くが県内に住んでおり、気になっています。実家や親戚が住む地域は内海側にあり到達時間は発生から1時間ほど。ハザードマップでも津波はこないとされている地域なので万一の場合でも1時間あれば避難所などに逃げることができるかな・・と思っていました。

 

久しぶりに三重県の地図をみていてふと思い出しました。三重県の南半分は外海に面しており、そこにある南伊勢町という地域に昔、原発を誘致しよういう計画がありました。当時、三重県の南のほうに行くと山林の道路脇などに原発のマークと「クリーンエネルギー」という言葉を記した看板があちこちに掲げられていました。

 

その後、住民運動の反対が強まり、時の中曽根首相が現地視察にきた時、反対派の住民が中曽根さんをめちゃ怒らせるようなことまでして(生卵をぶつけた人がいたとか?)、いろいろあった末に建設計画は白紙になりました。あの頃は南海トラフの脅威が今ほど言われていなかったと思います。もし原発が建設されていたら・・。地図をみたらその南伊勢町、10分程度で津波がくる地域です。

 

誘致があった80年代か90年代、その頃の南伊勢町の住人の方々、推進派との関係悪化やどこかからの脅しなどにも耐えて原発反対を貫いてくれました。ほんとに英断だったと思います。

 

ネットからおかりしました。