5月3日。快晴です。前日、高槻市の資料館で館員さんから教えてもらった芥川城へ早速登ってきました。このお城跡は180mと比較的登りやすいこと、当時の縄張りや石垣が残っていること、三好長慶がなぜ京都ではなくて高槻という地を選んだのか、そんなことに興味を抱いたからです。興味の熱が冷めないうちにいってこよう。現地近くまでは車で出かけました。初めて訪れたけれど摂津峡のところです。

 

 

直前に簡単なことだけ調べました。登山ルートは塚脇ルート、上の口ルート、下の口ルートの3つがあります。駐車場から近く、歩く距離も一番少なそうな上の口ルートで行くことにしました。あとでわかりましたが、道があまり良いわけではなかったのでおすすめかどうかはわかりません。💦 上の口駐車場というところに車を停めますが事前に近くにある漁業組合に駐車料金千円を払います。トイレもありました。

 

 

民家の敷地ではないのかと思うような細い道が。

 

ちょっと歩くとこんな景色。

 

途中に「滑落注意」と看板がありました。道が険しいというよりも、狭くて道いっぱいに落ちている枯れ葉が乾燥していてとても滑りやすくなってます。それで誤って滑ると危ないということなのだと思います。歩いていると川の流れる音が聞こえてきました。

 

 

オレンジ色の杭+ロープの内側が登山道。

 

 

木の間から見える川がきれい。

 

木漏れ日もきれい。さすがに熊は出ないでしょう。ちょっと怖いけど自然はいいな。

 

時々、どれが道なのかわからなくなる箇所がありましたが小さい標識があるのでそれを気を付けていけば誤ることはなさそうでした。

 

 

 

往路復路、合わせて3組くらいの人とすれ違いました。

 

 

大きな石がゴロゴロしているのが見えてきました。これかつての石垣だったのでしょうか。でも前日に写真で見たのと違うなあ。この辺から足元にも石がところどころ敷いてあったりして、お城のエリアに入りかけた気配がしてきます。いやーしかし、こんな登りにくい山の上を行き来するの大変だったのではないか。

 

 

 

山頂まで来ました。急に視界が開け、高槻市と更にその向こうの大阪の街が視界に飛び込んできました。素晴らしいビューです。さっきまでなんでこんな辺鄙な山の上に・・なんて思ってたけれど、撤回です。


資料館のおじさんがここのお城跡はよく手入れされているとおっしゃってましたが、きっとこのあたりの木々を伐採して当時のビューを再現してくれたのでしょう。ここからは眼下に広がる大阪の様子が手にとるようです。敵がやってきてもすぐにわかるだろうし、特異な動きがあったらすぐに察知できそうです。ここに立ってみると近畿一円を支配しようとする三好氏の考えがなんとなくわかるよう・・な気がしました。やはり海外との交易も考えて海に面した大阪だったのでしょう。

 

 

山は生駒山でしょうか。その向こうは奈良です。

 

 

 

もう一段上にあがります。

 

 

このあたりが主郭。

 

大阪のビル群。このビューを英語でskylineといいます。青空を背景にした建物や山の輪郭のことです。

 

 

主郭のところに祠がありました。三好長慶と松永久秀が祀られていました。

 

 

 

織田信長以前の戦国時代勢力図。

 

 

そろそろ下山します。帰路は知らないうちに往路と違うルートをとってしまいました。このルートでは大手門の石垣跡が見れました。鬱蒼と茂る木々の間に残る大手門の石垣です。

 

 

 

もっと下りたところで。これも当時の石垣でしょうか。

 

 

 

往路とは違うルートで下山してしまいました。💦 ということで車を停めた場所までこのあと更に2km歩くはめに。

 

 

たくさん歩いた日だったので帰りは高槻市内にあるカフェに寄ってパンケーキを食べました。これくらいはカロリー消費したと思うのでカロリーは差し引きゼロということで!