岡崎公園から四条河原町まで歩きました。往路は河原町からバスを使ってここへ来たけれど、スマホで距離を確認してみると1.5kmほどです。天気も良くお散歩日和でもあり、途中の道を撮影しながら歩いてみることにしました。広い大通りではなく岡崎公園から南西方向にに流れる白川沿い(白川筋)を。

 

 

 

この辺、とても静かで古都的な雰囲気が感じられました。鴨川や桂川みたいな大きな川ではなく小さめの川が流れているのもいい感じです。川沿いに柳の木が植えられてあり、少し出ている新緑の枝がゆらゆら揺れている姿が風情あって素敵でした。

 

 

 

 

こんな看板を発見。え。光秀の塚がこんなところに?

 

住宅が密集する中の狭い路地に入っていく途中にありました。

 

 

 

光秀の首がここに埋められているとのこと。当初は蹴上(ウエスティンホテルがあるあたり)にあった塚が江戸時代にここに移されたとあります。家屋と家屋の間にぴたっと挟まれてとても狭いところにひっそりとある感じです。

 

 

路地にはいっていく角に光秀饅頭を売る和菓子屋さんがありました。塚との距離は20mです。

 

京都の街を歩いていると意外な発見がありますが、今回も全く予備知識なしで偶然みつけた場所でした。数年前の大河ドラマでも主役になったりもして、近年はこの人に対する見方が変わってきましたが、光秀はかなり長いこと、歴史の中の悪役でした。明治時代には子孫の方は明智姓であることで学校でいじめられたりすることも多かったと聞いたことがあります。子孫だとわからないよう苗字を変える人もいたと。そんな逆風時代も長かったのに光秀の塚がずっと地元の人に守られてきたということもなんだか感慨深いです。

 

 

このあと、祇園エリアに抜けます。八坂神社の前から四条通に入り、河原町方面へ歩きました。

この区間は人が多すぎてとてもカメラを構える気にもなれないくらい(;´Д`)。少しでも早くこの雑踏から逃れたくて足早に歩きました。なので写真はありません。

 

南座が見えてきました。

 

南座から四条通を挟んで斜向かいに出雲の阿国の銅像。

 

出雲の阿国は歌舞伎の創始者となった芸人。この人は遊女だったとか巫女だったとか。昔、芸人は河原で芸を披露していました。歌舞伎のはじまりはこの鴨川沿いだったのですね。

 

 

出雲の阿国像から南座を眺める。

 

 

四条大橋を渡ります。川沿いに建ち並ぶ先斗町のお店。昔は河川敷に等間隔にカップルが並んでいましたがいまは一人で座っている人も結構いるようです。

 

 

 

河原町駅がゴールです。1.5kmのお散歩おしまいです。