最近また図書館で本を借りるようになりました。

 

今回読んだのは80代の五木さんが10代後半である灘高校の生徒たちとの対話をまとめた一冊。大人が読んでも十分学びになることがたくさん書かれていました。いくつか心に残る箇所があったのでメモとして。

 

五木さんはまず小説家であるご自身のことを時代の表現者であり、「炭鉱のカナリア」であると語っておられました。まだ世の中の殆どの人が感じていない、何の興味ももっていないけれど作家自身がどうしても言わずにはいられない予見みたいなものを物語のかたちで語る。この感覚は時代を先駆するあらゆる人たちがもっているのでないかと思います。芸術の世界でもビジネスの世界でもそれを嗅ぎ取れるひとたちがいます。やはりとても特殊な才能だと思います。

 

そしてその著者の感覚では今の時代は自分のルーツから切り離され故郷を離れて生きる人たちが多い「デラシネ」の時代だといいます。難民がその極端な例だけれど日本でもこれまでの伝統や価値観とは違うところで生きる人が増えると。自由だけれど根っこのない生き方でもあります。世の中の多くの人が持つ不安の根源ってこういうところにもあるのかなとも思いました。

 

人間の歴史が善意とか努力とか意思とかそんな前向きなことだけで進んでいるのではなくなんともいえないどす黒い力が一面では働いていることも頭の隅においておく必要がある。人間には性善説と性悪説が絡まり合って、「悪いけどいい、いいけど悪い」という両方でみて行かないと真実はみえない。人間嫌いだけでは生きにくい。それでも人間を信頼することが生きる力になる。いろんな経験をして、「人間とは愛すべき信じるべき存在」と感じる体験を得ること。こんな素敵な経験があった、そうした記憶が生きる力になるのだと。生きる力って立派な本や格言から得られるのではなくて日常私たちが触れ合う人間の営みで体験したことからしか湧いてこないという。自分自身の成長もきっと人との関わりの中で感じるもの。

 

人生は不条理に満ちている。エリート高の卒業生だからといって必ずしも順風満帆な人生になるとは限らない。人生は挫折の連続でもある。それを乗り越えていく、その時に必要なものが自身の経験であり、多方面からものごとを考えられる視点なのかもと思いました。

 

他にも目次として視線を低くして生きる、転がる石として生きるなど興味深い話がいろいろありました。いまはそういう時代なのかもしれないけれど、私自身は漠然とした不安を抱えながら生きているように感じています。世間ではネガティブ思考はいけないとか、前向きに生きようとか、とにかく無理やりにでも前向きにという「教え」が多くて、私自身は内心ちょっとそれに辟易しています。五木さんの言葉にはそういうのがありません。不安はあって当たり前だし、それこそ人間の本来の姿だと仰る。その中でどうやって生きやすさを探すか?みたいにそっと寄り添ってくれる感じ。深い教養と人生経験、仏教思想に裏打ちされた言葉が多くて心に沁みます。