九度山歩き。次の行き先は旧萱野家。観光案内図に掲載されていたので興味を持って訪ねてみました。どう歩いたかもよく覚えていませんが昔からの狭い坂道の先にありました。この前には小さいお寺。この建物もかつては不動院と呼ばれる高野山真言宗のお寺です。

 

 

建物は現在、自らも障害を持ちながら、それを乗り越え、障害者の教育・福祉のために貢献した大石順教尼の記念館となっています。日本のヘレン・ケラーと呼ばれています。私自身は前知識が全くなく、ここを訪れて初めて彼女のことを知りました。

 

入館は無料です。内部の撮影は禁止だったので以降の写真はありません。入館してまずは大石順教尼についての短い説明映像を見せてもらいました。最初からいきなり衝撃でした。彼女は明治生まれの美しい女性でした。若くして大阪堀江の芸妓となり、脚光を浴びる存在でしたが、わずか17歳の時、家族のいざこざに巻き込まれ、狂乱の養父に両腕を切り落とされてしまいました(堀江事件)。

 

事件の後は堀江事件の唯一の生き残りとして、見世物小屋で両腕のない身体を晒して生きる糧を稼ぐ日々。この時代のなんともいえない残酷さですが、昔は障害者って「見世物」だった・・。一番、胸が痛んだ場面でした。

 

ある日、カナリアが嘴で雛に餌を与えている姿を見て、両手がなくても・・!と思いたち、彼女は口で筆を持って書道の練習を始めました。下の写真はWikipediaからお借りしました。

 

 

口で筆を持って書いた作品がいくつか展示されていましたが、驚くほどの達筆です。作品は書にとどまらず、仏像などの絵画にも及びます。撮影できなかったのでいただいてきたパンフレットの写真を。

 

 

作品を前にして、ここまで至る彼女の精神性というか、自分自身を肯定して生きる前向きな姿勢にただただ感銘を受けるばかりでした。作品のひとつひとつと向かいあううち、感動して涙が出そうになりました。もし私が17歳でこんな運命を背負わされたら・・運命を呪い、養父を憎み、自暴自棄になってると思います。あるいはこの先を悲観して生きるのをやめてるかもしれません。そんな自分の弱さとも向き合っているような気持ちになりました。

 

彼女は一度結婚して子をもうけ、その後離婚しています。この時代に離婚する強さがあったことさえもが驚きでした。順教尼は40歳頃に得度し、人生の後半は障害者の福祉がまだ今ほど充実していなかったこの時代に障がい者を支援する活動を続けたそうです。館内には彼女と同じように両腕を欠損した少年に口で筆を加えて書道を教える写真が展示されていました。来日したヘレンケラーとも会っているそうです。いまから50年ほど前に81歳で天寿を全うされました。晩年の写真はとても穏やかで優しそうな表情です。神様は本人が乗り越えられない試練は与えない・・っていうけれど。これほどの試練、苦難を乗り越えて生き抜いた彼女の力の源泉はどこにあったのでしょう。記念館を出てからは、そんなことを考えながら歩きました。九度山にきて彼女のことを知ることができて良かったです。

 

 

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次の目的地に向かう途中で買った和歌山名物・柿の葉寿司。

 

 

お寿司を柿の葉で巻いてあります。そう、この界隈は柿の木を育ててみえる民家が結構ありました。若狭町の梅農家みたいな感じで柿の木がある。