長浜市にある中世の平地城館遺構が2年ほど前から週末+祝日のみ一般公開されていると知り、先日ようやく出かけてきました。下坂氏は南北朝時代に遡る湖北の国人領主。室町時代以降、足利氏、佐々木氏、京極氏、浅井氏に仕えました。浅井氏が滅んだ江戸時代以降は帰農して地域の有力者として活躍しました。戦国大名家臣の屋敷群としてこれほど良好に残存しているのは全国でも屈指とのこと。
城館群を外部からみるとこんな感じ。
周囲は郊外の住宅街です。立派な木に囲まれた一画はここだけが違う時代区画みたいに思えました。
子孫の方は現在、お医者さんをされてます。ここに車を停めて中へ。
表門が見えてきました。ヨシ葺きの門です。下坂家では南北時代の建立と伝えられているそうです。戦国時代ぽい雰囲気に心が沸き立ちます。
門をくぐって反対側。控柱(ひかえばしら)が湾曲しています。今の時代にみると趣を感じるけれど、戦国時代という設定を考えるとそれらしい素朴で荒々しい力強さというか。
目の前に主屋。思わず立ちすくむほどに豪壮な感じ。威圧感さえ覚えました。
入って左側。ここ、昭和50年代まで子孫の方がクリニックとして使っておられたとのこと。手前に待合室として使われていた間があり、写真に写っている板の間はそのひとつ奥の薬局エリア。なんとレントゲン設備まであったというので驚き。
ここ、診察室だったそう。畳にしたら6畳くらい? 先生が奥に座っていて、ベッドもおいてあったそうです。
診察室。去年の秋に訪れた高山市の陣屋も昭和40年代半ばまで役所として使われていたと説明があったけれど、昭和って後半でもまだこんな風景が一部でとはいえ日常生活に残る時代だったのですね。
大黒柱部分。部屋の向こう部分の色が違うのは診察室を白っぽく統一するために塗り分けたのだとか。
この建物にはもう一本、大黒柱がありました。今回初めて知ったのですが、そういう場合は大黒柱に相対する(あるいはそれに次ぐ)柱ということで「えびす柱」というのがあるそうです。大黒柱一本だけを特に太くするのは江戸時代中期以降の農家や町屋の建築で、それより昔は梁の両方を二本の太い柱で支える二本体制の構造だったのだそう。
更に座敷部分へ。この辺は建物の中でも一番オリジナル部分。遠い昔の建物なのに殆ど歪みとかガタが確認できません。
座敷からみえる庭。
後鳥羽上皇が密かに訪れたという伝承もあるとか。
お勝手部分。梁や垂木がむき出しになってます。これリアルだと思うと、その迫力に思わず息を吞みます。見事な梁です。
玄関入って反対側の土間の部分も案内いただきました。見上げると天井部分。京都府南丹市の茅葺の里がある地域にその技術が伝承されているので、この建物の修復のときそこに依頼したそうです。煤で黒くなった部分はきっとオリジナル部分。
土間の一角にあるこれはお風呂跡とのこと。
こちら側から薪をいれてお湯を沸かしたのでは、と。
この後は屋外の土塁や堀、虎口跡を案内いただきました。昔の建物をみるのは好きなのですがこんなにドキドキ&わくわくしたのは久しぶりでした。続きます。