私は90年代の殆どの期間をオーストラリアで過ごしました。現地で暮らし始めて間もない頃に気づいたのは、日常生活の中で車いすに乗っていたり、盲導犬と一緒に歩いている人を見かけることが結構頻繁にあることでした。現地歴が長かった日本人の友人にそのことを言ったら、「日本は障害を持った人が自由に外出できる環境ではないでしょう?」といわれ、ハッとしたことがありました。
現地ではバス停に車いすの人が待っていると、運転手さんはバスを停めてその人の乗車を手伝い、周りの乗客もごく当たり前のようにその人を助けたり声をかけてました。電車に乗っている時に盲導犬を連れた人が普通に隣に座ったりする。初めてそういう場面に遭遇した時、ドキドキして仕方ありませんでした。しかし、そのうちなんとも思わなくなりました。オーストラリアは当時から人種的にもLGBTという概念でも「その他大勢と違う」ことが自然に受け入れられている印象がありました。車いすの人をバスに乗車させるためには停車時間が長くなるけれど、誰ひとり文句いわないし、嫌な顔をする人がいない。その光景は私にとって軽いカルチャーショックでした。私の記憶にあった当時の日本はもっと効率優先の社会で、なかなかこんなふうに行かないような気がしました。
効率性と多様性って両立しづらいように思います。日本人って本来は優しい人が多いのに、長年の効率重視の社会風潮がその良さを殺してきたのかもしれません。それから20年余。日本の社会も随分変わってきたように思います。良いほうに。あまりうまく書けませんが、昨日はパラリンピックの開会式をテレビで見ながらそういうことを考えてました。