13本目。

 

 

監督:豊島圭介

 

1969年5月に東京大学駒場キャンパスで行われた作家・三島由紀夫と東大全共闘との伝説の討論会の様子を軸に、三島の生き様を映したドキュメンタリー。1968年に大学の不正運営などに異を唱えた学生が団結し、全国的な盛り上がりを見せた学生運動。中でももっとも武闘派とうたわれた東大全共闘をはじめとする1000人を超える学生が集まる討論会が、69年に行われた。文学者・三島由紀夫は警視庁の警護の申し出を断り、単身で討論会に臨み、2時間半にわたり学生たちと議論を戦わせた。~映画.com~

 

2020年。昨日、アマゾンプライムで観ました。1968年はパリでは5月革命、チェコではプラハの春、アメリカでは公民権運動の勢いが高まった年。若者たちが既成の権力に立ち向かった時代。日本にもこんな時代があったのかと、少し前の香港の若者たちをみているようでした。全共闘の学生たちVS三島由紀夫。大変な熱量を感じる討論でした。昔の大学生ってマルクスやサルトル、ハイデガーとか普通に読んでたんですね💦 討論もとてもハイレベルで一回聴いていただけでは頭がついていけない。それらの間に現代の作家や識者の方々が解説をいれてくれてて理解の助けになりました。

 

学生たちは思想的にも真っ向から対立する三島を「論破して檀上で切腹させる」と息巻いていました。三島はそんな場所へ単身でやってくるのです。そこで正面から向き合って言葉をぶつけ合う。今の時代にはこんな光景を見ることはまずないだろうなというほど激しいエネルギーのやりとりです。若者は鋭い、難解な言葉で三島に向かってきます。三島のここが凄いな!と思ったのは、自分の半分くらいの年齢のその若者たちに対し、終始丁寧な言葉を崩さず、とても誠実に対峙しているところでした。天才の彼からしたら、相手の論理矛盾の隙をついて論破することだってできただろうに、それをしない。追い詰めるようなことをしないのです。ときにはユーモアも交え、学生からタバコに火をつけてもらったり、笑顔もみせて、議論を楽しんでいるような。なんともダンディでかっこいい。

 

今回の討論を一通り最後までみて、右と左、それぞれの言い分をほんのアウトラインだけですが理解できたように思います。全共闘の学生らが志向したのは60年安保からの流れをくむナショナリズムであり、三島の右翼的天皇思想とは天皇とは日本の文化概念の集約ということでした。つまり右も左も「反米的愛国運動」という本質で共通していた。右と左で対立するのは本質的ではなく、彼らは日本という国を愛し、共通の敵と戦っていたということでした。共通の敵とは、芥氏が言う「あやふやな猥褻な日本国」であると。それは「堕落した日本」であったのではと思います。

 

そして世の中を変えていくのは言葉であるということ。言葉の重要性、そして熱意と相手への敬意、これらが世界と対峙するときにとても大切なことなのかと感じました。当時、学生で全共闘、また三島の楯の会のメンバーだった方々は現在70代前半。いまもお元気で多くの方が当時を振り返っておられました。全共闘随一の論客といわれた芥正彦氏も出ておられました。50年たって外見はその年齢となっても、言葉の鋭さ、凄みに衰えみたいなのが全く感じられなくて驚きました。この方、学生結婚されていて、タバコの煙もうもうの会場に、生まれてまもない赤ちゃんを連れて登壇するんです。殺伐としていた空気がそこで瞬間、緩みます。そして、この赤ちゃん、議論の間中、泣くことも、ぐずることも全くしてなくて、すごい大物感。変なところで感心してしまいました。芥さんとの闘論が一番難解だったけれど、この二人が一番互いをわかりあえていたのじゃないかしらという印象を受けました。私はこうした方々の存在を知っただけでもこのドキュメンタリーをみて良かったなと思いました。

 

 

三島は最後に「私は諸君の熱情だけを信じる。他は信じなくても。」みたいなこといってその場を去っていくのです。そして一年半後、市ヶ谷で自衛隊に決起を訴えたのち自決します。大阪では万博が開幕し、世の中の関心が政治よりも経済の活気に移っていた頃でした。

 

学生時代~20代の頃、全部ではないですが私自身も三島作品を多く読みました。とても心が美しい人だと感じてました。何のまじりけもないクリスタルクリアーな純粋さというか。また読み返してみたいです。このドキュメンタリーも2時間くらいありますが、1分ちょっとのトレーラーをリンクしておきます。

 

 

(73) 【公式】『三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実』3.20(金)公開/本予告 - YouTube