昨日、友達と話していて知ったのですが、北陸地方はまだ梅雨入りしてないのでした。(;・∀・) そういえばいっときの雨空ではなく、まあまあのお天気がここ暫く続いています。今年は天気がよくても旅行もできないけれど、やっぱり外が晴れていると気持ちいい。今夜から天気崩れるそうですが。

 

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琵琶湖の北端、長浜市西浅井町です。

 

海津大崎から少し車を走らせ丸子船の資料館を訪れました。

北淡海・丸子船の館 (koti.jp)

 

 

 

淡海とは近江のこと。「あわうみ」→「あうみ」→「おうみ」になったそうです。

 

丸子船は丸太を二つ割にして胴の両側につけた琵琶湖独特の船。(HPより)

江戸時代には1400隻が湖上を往来していたそうです。この資料館では現存する2隻のうち1隻を見学できます。この船は米俵250俵を積載可能。鉄道輸送に取って変わられる昭和30年代まで琵琶湖を走っていたそうです。エンジンもついていたようですが、この簡素な造りの木製の船が昭和中期まで現役で稼働していたことに驚きます。

 

実物の丸子船。

 

 

 

船全体にある黒い模様は「ダテカスガイ」。本来は水がしみてこないようにする接合材だったのが、のちは「伊達」な模様として取り入れられていたようです。

 

 

船の内側の様子。船乗りさんたち。リアルな蝋人形にどっきり。

 

 

 

こんな服装で乗り込んでいたのだなあ。

 

 

 

パノラマで撮ってみるとこんな感じ。内側にいろいろ積み込んである。

 

 

このヒト、ベテランの親方ぽい。

 

 

若手。

 

 

エンジン室。帆とエンジンと併用していた時代。

 

 

船の後ろ側。下部にスクリュー軸穴。

 

 

後ろ姿。

 

 

とびのお。後部に突き出した部分。かさぎ、舵床を受けるようになっています。

 

 

二階から見下ろしてみる。

 

 

帆布を間近で。触ってみました。厚みがあってがっしりと丈夫な感じ。和船の時代は「むしろ」などを使っていたこともあるそうです。でもそれでは耐久性が乏しく、雨で濡れると重くなるという欠点があったため、江戸中期に考案された帆布が採用されるようになったそう。

 

 

 

巨大な帆布。帆をあげた船が風を受けて何艘もの軍団になって水上を走るさまは、想像するだけでもロマンをかきたてられます。

 

二階のジオラマ。昔の西浅井町。

 

 

昔は北前船で知られますが日本海側に物流の主軸がありました。琵琶湖は京や大坂への主要な輸送ルートでした。このため平清盛の頃から織田信長まで時代の権力者は琵琶湖の水運を支配しようとしてきました。歴史的にも琵琶湖の水運が非常に重要な役割を担ってきたということです。その主役でもあった丸子船。実物を見ることができて有意義な日でした。

 

 

この後は隣接する古民家の展示をみにいきました。こちらには丸子船時代の生活道具、漁具、農具などが展示されていました。続きます。