10年以上前になりますが、2度、イスラエルを訪れる機会がありました。中東に出張すると知った時、周囲からはかなり心配されました。しかし、初めてテルアビブを訪れた時の印象は・・・拍子抜けするほどのんびりしていて、明るい街でした。出会う人たちも多少のアクの強さは認めるも、ここの気候と同じように陽性で人懐っこい。英語圏並みに英語が通じる。いつテロが起こってもおかしくないのに、そんな人々の恐怖なんて全く感じさせない雰囲気がありました。

 

これはテルアビブの海沿い。海の近くのホテルに泊まりました。空気が乾いていてリゾートみたいな感じ。

 

 

イスラエルは砂漠地帯なのに街中を歩いていると、緑濃い街であるのが最初不思議でした。よくみると街路樹や公園で植物や花のあるところには根っこ部分にくまなくホースが敷かれて、穴からちゅーっと水が出るようになってるのです。公園もたくさんあり、木や植物が生い茂っていました。平日の午後の公園は保育園児なのか、小さい子供たちが先生たちと散歩しているところと遭遇したり、ご年配の方々がフィリピン人のメイドさんに付き添われて散歩したり、日光浴をしている姿がみえました。大方の人は気さくに話しかけてくれるのです。どこから来たの?仕事?何日いるの?みたいな感じで。買い物にいってもレストランにいってもだいたいそんな感じ。ゆるい空気と話しやすい人たち。ある時、家には非常時に逃げ込めるシェルターがあると教えてもらいました。そんなのあるの?!って驚きました。目の前の平和なのんびりした光景とロケット弾が撃ち込まれる非日常の状況がいまひとつ、重ならないのです。

 

別の日に街中を歩いていて兵士の姿を目にすることが何度かありました。イスラエルは男女ともに兵役義務があり、女性兵士も普通にたくさんいます。彼女たち数人とある時、すれ違いました。まだ顔に幼さが残る20代前半~半ばくらいか。緊張感で張りつめた表情でもなく、ごく普通に仲良い者同士で歩いている、そんな様子でした。しかし全員が肩からがっちりとした自動小銃を下げていました。若いお嬢さんと自動小銃。ここでも、これまでの思い込みで見ると重ならない光景。ああ、やっぱりここは戦争している国なんだ・・と、気持ちが引き締まりました。

 

イスラエルとイスラム原理主義組織ハマスとの間の攻撃の応酬を毎日ネットの動画でみていました。

 

 

イスラエル側の犠牲者がとても少なかったのはあれだけの危機管理対策がされたいたからなのだろうと思いましたが一方で経済的にも困窮するガザ地区で小さい子供を含めて多くの犠牲者が出ていたことがショックでした。2歳、3歳で身の回りに爆音が轟いて、泣き叫ぶ声が聞こえて、いったい何が起こっているのかこの子たちはわからないはず。11日間の後にようやく停戦合意。私は何もできずにテレビをみているだけで、ただただもどかしいだけの気持ちが募って。ガザからのロケットがテルアビブに着弾する映像も映されていました。あ、あの辺、散歩で歩いたところだ、と思い出しました。私が訪れた時は一瞬、表面的な鎮静が訪れていた時期であったに過ぎなかったのかとその時、感じました。あのにこやかに喋ってくれたレストランや商店のひとたち、街で出会ったひとたち、彼らは日々の生活に常にこういう事態を想定していたのだろうかと。

 

これも随分前ですがイスラエル人の人たちとあるプロジェクトで仕事をしていたことがありました。彼らが日本にきていた時、日本人の自殺者数の多さを知って、本当に驚いていたのが印象深く記憶に残っています。なんでこんなに平和で恵まれた社会に暮らしていながら自ら死を選ぶのかと理解できないようでした。お金がないから死ぬ?いじめられたから死ぬ?ありえない!何を考えているんだ!みたいな感じで本気で怒っていた。イスラエルでは「死ぬかもしれない」という日常がすぐ近くにある。だからみんな強く生きて、絶対負けるものかって思ってるよ、って。あの時の会話をふと思い出しました。

 

中東の武力衝突のニュースを毎日みていたらいろんな思いが去来しました。うまくまとめきれないけれど、思い出したいろいろを綴ってみました。