フォローさせていただいているブロ友さんが最近、このテーマで記事を書いてらっしゃいました。趣味は人生を充実させると仰るブロ友さんの考え方に大変共感しました。私自身もこれまでの人生、習い事をしたりする機会がありました。また好きなことをみつけて没頭したりすることの多かった人生でした。人生を彩ってくれたのがこうした「好きなこと」をする楽しみだったと思います。
まず習い事について振り返ってみようと思います。今の子供さんやもっと若い世代に比べると子供時代、私はそれほど習い事には通ってませんでした。小さい頃の習い事は私の場合、全く選択の自由というのがなくて、親に一方的に決められ、無理やり行かされていたものでした。中でも英語塾が嫌で泣きながら通っていました。当時(昭和50年代)は習い事といえば習字やそろばんが双璧で英語を習う小学生なんてクラスで私ひとり。塾でも人数が少なかったのと成績が良かったことで、私は年上の子供たちの中にいれられてました。本当は同級生達と一緒に習字やそろばん教室に行きたかったけど、あの頃から父は「将来必要になるのは英語。コンピュータの時代になったらソロバンは不要になる。」と、全く子供の話に耳を貸してはくれませんでした。まあ親の予言は当たったのですけれど。
加えて、私は生まれた頃から喘息持ちで身体が弱く、すぐに風邪をひく子供でした。体力がないので風邪が悪化して入院したこともあったほどで、やはり親はそこを心配したのか、身体を鍛えることを子供の私への最優先課題としてました。水泳教室に行かされたり、休みの日は朝早くからたたき起こされてジョギングさせられたりしました。父は昭和の強烈なスパルタ父で、本当に毎日が嫌で仕方なかった!でも子供は嫌でもその日常を受け入れなくてはいけない。ピアノやバイオリンを習ってるいとこたちもいて、なんかかっこいい。私もやりたい。でもこの父親にそんな要望は通らない。夏休みでも毎朝、布団をはぎ取られ、さあ着替えて走れ!!みたいな日々。これが習い事に絡む私の子供時代の思い出。(ピアノはほんの少し習いましたが才能なくてすぐに挫折しました。)
高校時代。甲斐あってか体力も人並みとまではいかないけど、まあまあのところに。この頃、仲良かった友達と華道教室に通い始めました。深い理由はなく、「夜、外に出たかった」というだけの理由でした。教室の後、友達とファミレスに寄り道してパフェを食べて喋るのが楽しみでした。
大学時代。京都にいたので茶道を少しかじりました。前半は遊びすぎました。後半は勉強しました。当時、一番お金と時間をかけたのが通訳の訓練。それから専攻は英文学でしたが経済・金融の勉強を熱心にやりました。
社会人。ようやく自分のお金で好きなことを習うようになりました。大人になってからやったのは茶道(裏千家)、再び華道(池坊)、テニス、フランス語、中国語、絵画、ヨガ、筆ペン習字など。といってもあまりたいしたことはしてないですネ。茶道や華道を習うようになったのは、外国人と仕事でお付き合いが増え、彼らから日本の文化や歴史のことを質問される場面が非常に多かったからです。日本人だからといって日本のことを実は全然わかってないことに気づいたのがこの頃でした。茶道を習うと作法だけでなくて日本の建築、美術、考え方、文化について総合的に学べるように思い、足掛け8年ほど稽古に通いました。また、働くようになってからようやく「全ては身体が資本」ということを自分でも理解するようになりました。やはり健康がないと、何も成すことができません。親の教育は当時の私には荒っぽくて嫌でしたが、もやしのようだった私の将来をそれなりに考えてのことだったのかと今になって思います。才能がなかったので残念でしたけど、後悔といえば何か楽器を演奏できるようになりたかったです。いろいろ書いてたら長くなりました。趣味の変遷についてはまた次回書きます。